福井県に、九十九橋と呼ばれる橋があります。
古い歴史を持つこの橋には、恐ろしい伝説が残されています。
『九十九橋』では、過去にどのような出来事があり、怪現象が起こるようになったのでしょうか?
本記事では『九十九橋』に伝わる伝承を紹介します。
『九十九橋』とは
『九十九橋(つくもばし)』は、福井県福井市に存在する橋です。
福井県福井市の足羽川下流部に架かる、福井県道6号福井四ヶ浦線上にある橋で古くは、柴田勝家が北庄城主となってから南側を石(笏谷石)、北側 を木で架け替えたといわれています。
半石半木の奇橋として全国的に有名な橋で、明治42年に架けかえるまで330年間存続していました。
現在の橋は1986年(昭和61年)に架け替えられたものです。
『九十九橋』の場所
福井県福井市 中央大通り
『九十九橋』で起きた事件・事故
九十九橋では、天正11年4月24日に『越前北ノ圧城に火が放たれ燃え盛る炎のなか柴田勝家と妻お市が自らの刀で自害した』と伝えられています。
また、現在でも2023年7月30日に建設業の男が、飲酒検問中の警察官をひき逃げする事件が発生するなど、交通事故や事件も発生しているようです。
心霊現象の根本原因は、天正11年の出来事なのでしょうね…。
『九十九橋』でウワサされる怪異
九十九橋では、天正11年に柴田勝家と妻お市が自らの刀で自害した件以降、命日である4月24日の丑三つ時になると、数百にも及ぶ騎馬武者の行列が九十九橋を渡って南へと進んでいく姿が見られるようになったそうです。
武者と乗っている馬の首はなく、通った後には真っ赤な血だけが水たまりのようになって残るといわれています。
さらに、行列を見た者は吐血して命を落とすと伝えられているようです。
九十九橋の怨霊伝説
九十九橋にまつわる怪異譚はいくつか残されているが、その最も奇怪なものが、享保年間(1716~1736年)に起こったされる表具屋佐兵衛の話である。
以前より、どうしても首なし武者の行列を見たいと思っていた佐兵衛は、たとえ死んでも構わないからその光景を絵に残したいと、遂に4月24日の夜中に外に出た。すると違わず、首なし馬に跨がった首なし武者の隊列がしずしずと町中を進んでいく。しかもその馬印は柴田家のもの。佐兵衛は夢中になってその様子を紙に描き、修理を頼まれていた桐箱の中にそれを隠したのである。翌日になると佐兵衛は噂通り変死、桐箱は持ち主である武家の許に戻された。その武家は箱に入っていた亡霊の行列が描かれた絵を見つけると、不吉とばかりに庭で焼き捨てることに。ところが火がついた途端にその紙は宙を舞い、あろうことか屋敷に燃え移り、最終的に近隣を焼き尽くす大火事になったという。さらにその時に、宙を舞う首なし武者の姿を目撃した者が何人もいたとも伝わる。
この柴田勝家の亡霊が出現するようになったのは、寛永元年(1624年)に“北ノ庄”の地名を嫌って“福居(福井)”と改めた頃からとしている。また首なし武者行列から命を守る唯一の方法は、行列から誰何された時に「柴田勝家の家臣である」と名乗ることとも伝えられている。
日本伝承大鑑 https://japanmystery.com/fukui/tukumo.html
ウワサされる怪異
- 柴田家の怨霊が目撃される。
かなり古い歴史を持つ橋のようです。
まとめ
本記事では、福井県の心霊スポット『九十九橋』を紹介しました。
九十九橋は、天正11年から続く歴史と、恐ろしい曰くが残されている有名な橋です。
特に柴田家の怨霊は、地元でも語り継がれる伝説なので一読の価値があると言えます。
福井県を旅する際には、『九十九橋』を訪問してみては如何でしょう。
柴田勝家と妻お市の命日である4月24日の丑三つ時を狙って訪問すると、恐ろしいものが見れるかも知れません。
合言葉は「柴田勝家の家臣である」ですよ!