不忍池は、東京都心の喧騒の中にありながら、自然の静けさと美しさを同時に楽しめる特別な場所です。
上野恩賜公園内に位置するこの池は、四季折々の美しい風景が訪れる人々を魅了します。
特に夏には、蓮の花が咲き誇り、池全体がピンク色の花で彩られます。
その美しい光景は、まるでピンクの雲が池の上に広がっているかのようで、多くの家族連れやカメラマン、観光客が訪れる理由の一つです。
しかしながら、不忍池には過去に入水自殺が行われたという噂があり、さらに水草が多いため、溺死者が水面に浮かび上がらないという恐ろしい話も囁かれています。
これらの背景から、不忍池は心霊現象が発生する場所としても知られています。
この記事では不忍池で実際に起きた事件や事故、そしてここで囁かれる心霊現象について、ご紹介していきます。
東京都『不忍池』とは
『不忍池(しのばずのいけ)』は、東京都台東区の上野恩賜公園内に存在する池で、東京の中でも特に風情ある場所として知られています。
不忍池は、もともと縄文海進期に東京湾の入江であったものが、海岸線の後退により取り残されてできた池です。紀元前数世紀頃には、現在のような形になったと考えられています。
「不忍池」という名前は、かつて上野台地と本郷台地(向ヶ岡)の間の地域が「忍ヶ丘(しのぶがおか)」と呼ばれていたことに由来すると言われています。
しかし、他にもいくつかの説があります。一つは、周囲に笹が多く茂っていたことから「篠輪津(しのわづ)」と呼ばれ、それが転じて「不忍」になったという説です。
また、ここで男女がひそかに逢っていたことから名付けられたという説や、上野台地が「忍が岡」と呼ばれていたことにちなみ「不忍池」と命名されたという説もあります。1
5世紀頃にはすでに「不忍池」という名前が使われていたとされています。
江戸時代初期には、徳川家康の命により、天台宗の僧・天海が東叡山寛永寺を建立し、その際に不忍池を琵琶湖に見立て、池の中にある中之島を竹生島に見立てて弁天堂が建てられました。
不忍池は江戸時代以来、蓮の名所としても知られ、多くの人々が訪れる観光スポットとなっています。
池の中には弁財天を祀る弁天堂があり、これは「谷中七福神」の一つとしても信仰されています。
不忍池はその歴史や文化的背景から、多くの人々に親しまれており、現在も四季折々の自然を楽しめる場所として訪れる人が絶えません。
また、池の周辺には上野動物園や東京国立博物館などの観光スポットもあり、文化や歴史に触れることができるエリアとなっています。
『不忍池』で起こる心霊現象
幽霊が目撃される
不忍池を夜間に訪問すると、幽霊を目撃することがあると言われています。
この噂は長年にわたって多くの訪問者の間で語り継がれており、夜になると不忍池には雰囲気が一変し、不気味な空気が漂いはじめます。
過去に戦場となった歴史を持つこの場所では、未だに戦い続ける亡霊がいるのではないかという話が囁かれているのです。
戊辰戦争での激戦が繰り広げられた際、不忍池には砲弾が落ち、その水しぶきが戦闘の合図となったと言われています。
このような背景が影響しているのか、夜になると謎の音や光が現れ、さらには幽霊の姿が見えることがあるという目撃談が後を絶ちません。
また、江戸時代に入水自殺した女性の霊が現れるという伝承もあり、その姿を目撃したという報告もあるようです。
謎の音が聞こえてくる
不忍池では、夜になると謎めいた音が聞こえてくることがあると言われています。ま
るで花火でも打ち上げているかのような爆音が突然響くのですが、もちろん周囲では何も起こっていません。
音は「バンッ」「ガラガラ」「パチパチ」といったようなものが混じり合い、静かな夜の空気を震わせます。
その音の正体を探ろうと周囲を散策しても、特に異常なものは見つからないそうです。
これについて、一部では戊辰戦争の激戦時に使われた砲弾の音が、時を超えて響いているのではないかと考えられています。
もしかしたら、彰義隊の戦士たちは今もなお、その戦いを続けているのかもしれません。
実際、不忍池で水しぶきが上がると、それが戦闘の開始の合図だったという記録もあり、現在でも何もないはずの池で突然水しぶきが上がったり、鬨の声が聞こえることがあると言われています。
オーブが写り込む
不忍池で写真を撮影すると、オーブが写り込むことがあると噂されています。
オーブとは、写真に写り込む小さな光の球体で、霊的な存在が関与しているとされることが多い現象です。
特に不忍池では、オーブが撮影された後にその位置が変わったり、突然消えたりすることが報告されています。
こうした現象は、ただの光の反射やカメラの不具合とは異なり、何か超常的な力が働いているのではないかと感じさせ、撮影者に強い恐怖を与えることがあります。
このような不思議な体験が、不忍池をさらに心霊スポットとして際立たせている要因の一つとなっています。
ウワサされる心霊現象
- 幽霊が目撃される。
- 謎の音が聞こえてくる。
- オーブが写り込む。
『不忍池』の場所
住所 | 〒110-0007 東京都台東区上野公園5-20 |
最寄り駅 | JR上野駅不忍口 |
アクセス | JR上野駅不忍口から徒歩で約5分、首都高速上野出入口から約5分 |
備考 | 23時~翌5時は公園内立入禁止 |
営業時間はしっかりと守りましょう…
『不忍池』で過去に起きた事件・事故
彰義隊の戦い(1868年)
不忍池では、過去に戦争が起きています。
1868年、戊辰戦争の最中に起きた「上野戦争」は、新政府軍と旧幕府軍(彰義隊)の間で繰り広げられた戦闘です。
この戦いは、江戸幕府の滅亡と明治新政府の成立を象徴する出来事の一つとして、歴史に刻まれています。
彰義隊は、旧幕府側の勢力が集まった部隊で、主に徳川家に忠誠を誓う人々が集まりました。彼らの拠点となったのが、東叡山寛永寺であり、不忍池周辺も戦場の一部となりました。
1868年5月15日、上野戦争が勃発しました。この戦いはわずか1日で決着がついたものの、その戦闘は激烈を極めました。
新政府軍は西郷隆盛が指揮を執り、彼らは最新の洋式兵器を駆使して、彰義隊を攻撃しました。
一方、彰義隊は旧来の武装で戦いに挑みましたが、新政府軍の優勢な火力に対抗できず、最終的に敗北しました。この戦いで、寛永寺の伽藍は焼失し、不忍池も戦火に巻き込まれたとされています。
この戦いにより、上野一帯は甚大な被害を受け、戦闘で多くの犠牲者が出たことから、不忍池周辺には無念を残した多くの霊が存在するといわれています。
不忍池競馬場の事故
不忍池は、明治時代の初期に一部が埋め立てられ、不忍池競馬場が建設されました。
この競馬場は、1884年(明治17年)に開設され、東京で初めて公共競馬が開催された場所として知られています。
当時の競馬は新しい娯楽として人気を集め、多くの観客がこの競馬場を訪れました。
しかし、競馬場では観客や参加者が負傷する事故が頻繁に発生していたことが記録されています。
詳細な資料はあまり残っていませんが、当時の競馬は現在ほど安全対策が整っていなかったため、馬や騎手の転倒や観客が巻き込まれる事故が発生していたようです。
この競馬場は1892年(明治25年)まで使用されましたが、その後、事故の頻発や都市化の進展によって、不忍池を公園として保存する必要性が高まり、競馬場は移転されました。
移転後、不忍池は再び池として整備され、現在のような姿に戻りました。
自殺の噂
不忍池には、入水自殺が行われたという噂があるようです。
明治時代から大正時代にかけて、日本は急速に都市化が進みました。この過程で、多くの人々が生活環境の変化や社会的プレッシャーに直面し、精神的に追い詰められるケースが増えていきました。
特に都市部では、孤立感や経済的問題が深刻化し、その結果として命を絶つ人々が現れるようになったのです。
不忍池は、その静けさとアクセスの良さから、自殺の場所として選ばれることがあったとされています。
しかしながら、具体的な自殺者の数や詳細については、公式な記録や統計がほとんど残っていません。
そのため、実際にどれほどの自殺がこの場所で行われたのかは明確ではなく、この曖昧さが噂や都市伝説を助長している側面があります。
不忍池における入水自殺の噂は、都市伝説的な要素も多く含まれており、具体的な記録がないため、どこまでが事実でどこからが噂なのかを判別するのは難しい状況です。
このように、不忍池に関する入水自殺の話は、歴史的背景と曖昧さが組み合わさり、噂として広がっているのです。
上野公園ボート池男性殺人事件(2006年8月)
22006年8月4日午後2時過ぎ、東京都台東区上野公園の不忍池で、埼玉県さいたま市西区内野本郷に住む64歳の配管工・佐藤保さんがうつぶせの状態で浮かんでいるのが発見されました。
これは、ボート遊びをしていた人が池の西岸で見つけ、ボート乗り場の事務所を通じて上野署に110番通報したものです。
佐藤さんは、8月1日正午ごろに「気晴らしに大宮に行く」と言い残して埼玉の自宅を出発しましたが、その後、2日の午前9時ごろに「家には帰らない」と家族に電話をしたきり行方が分からなくなっていました。
家族は4日に埼玉県警へ捜索願を提出していました。その後の解剖結果によると、佐藤さんは首を絞められて殺害されたことが判明しました。
殺害されたのは4日午前6時ごろと推定されており、さらに頭部にも殴られた痕が見つかっています。
これを受けて、警視庁は殺人事件と断定し、捜査本部を設置しました。事件当日は、公園内で骨董市が開催されており、多くの人々が出入りしていたため、捜査は困難を極めました。
この事件は、上野公園の静けさを一変させ、多くの人々に衝撃を与えました。
刃物使用強盗傷人事
上野公園の不忍池付近では、帰宅途中の男性会社員が刃物を持った犯人に襲われ、負傷する事件も発生しています。
犯人は刃物を持ったままその場から逃走しており、行方は分かっていません。
犯人は凶器を所持したまま逃走し、周辺地域の住民は外出を控えるよう注意が呼びかけられました。
不忍池では、色々な事件や事故が起きているようです。
『不忍池』心霊スポット化の理由を考察
不忍池が心霊スポットとして認識されるようになった理由には、いくつかの歴史的背景や事件、噂が影響しています。
不忍池は、東京の中心地に位置し、長い歴史を持つ場所です。その歴史の中で、戦争や災害、事件などが数多く起こりました。
特に、1868年の戊辰戦争における「上野戦争」では、多くの人々が戦死し、周辺地域に無念の思いを残しました。
このような戦争の影響を受けた土地では、犠牲者の霊がさまよっていると信じられ、心霊現象が噂されることが多くあります。
また、不忍池は、過去に入水自殺が行われた場所としても知られています。特に明治時代以降の都市化が進む中で、社会的に追い詰められた人々が命を絶つ場所として選ばれたと言われています。
このような自殺の噂が広まることで、池の周囲が心霊スポットとして知られるようになっていきました。
不忍池は、昼間は観光名所として多くの人々が訪れる場所ですが、夜間はその静寂さが一転して不気味な雰囲気を醸し出します。この二面性も、心霊スポットとしての認識を強めている要因になっていると考えられます。
特に観光客が少なくなる夜間に訪れることで、通常とは異なる異様な雰囲気を感じやすく、それが心霊現象の噂を生む原因になっているのでしょう。
『不忍池』訪問時の注意点
不忍池周辺は自然が豊かで、雨天時や夜間は足元が滑りやすい場所もあります。
特にボート池周辺や蓮の茂る場所では、水辺が近く、誤って足を滑らせる可能性があるため、雨の日や夜間には特に注意が必要です。
不忍池は広い公園の一部ですので、迷ってしまう可能性もあります。特に夜間に訪れる場合は、スマートフォンの充電を十分にしておく、位置情報を共有するなどの安全対策を講じると安心です。
また、心霊スポットとして訪れる場合でも、常に自分や仲間の安全を最優先に考えて行動しましょう。
夜間は照明が少なく、静かな環境が不気味な雰囲気を醸し出します。
肝試しなどで訪れる場合でも、安全のために必ず複数人で行動し、危険な場所には近づかないようにしましょう。
大きな声で騒ぎ過ぎないなど、マナーはしっかりと守って行動しましょう。
まとめ
この記事では、東京都の心霊スポットとして知られる不忍池について紹介してきました。
不忍池は江戸時代からの長い歴史を持ち、戦争や事件の舞台にもなった場所です。特に、戊辰戦争の「上野戦争」では、多くの人々が命を落としました。
また、明治時代には競馬場として利用されるなど、池の形や役割が変遷してきました。こうした歴史を知ることで、訪問時の理解が深まるでしょう。
心霊スポットとして訪れる場合、夜間の訪問には特に注意が必要です。多くの心霊現象が報告されていますが、これらはあくまで噂や体験談に基づくものです。
過度に怖がる必要はありませんが、安全のために必ず複数人で行動し、危険な場所には近づかないようにしてください。
また、心霊現象を期待して訪れる場合でも、他の観光客や地元の方々に迷惑をかけないよう、マナーを守ることが大切です。
不忍池は、昼間と夜間で大きく雰囲気が変わります。昼間は観光客で賑わう一方、夜間は静けさと暗さが一層不気味な雰囲気を醸し出します。
そのため、夜間の訪問は控えめにし、どうしても訪れる場合は十分な準備をして、安全を確保するようにしましょう。特に、足元が見えにくい場所や池に近い場所では、注意が必要です。
不忍池を訪れる際には、これらの点に留意し、安全かつ歴史を感じる訪問を楽しんでください。