史跡ですすり泣く老婆の幽霊

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東京 心霊スポット『道了堂跡』殺人事件の悲劇を老婆が涙で訴える!

道了堂跡(どうりょうどうあと)は、東京都八王子市鑓水に位置する大塚山公園内の史跡です。

かつて「絹の道」と呼ばれた生糸輸送路で、現在では文化財として登録されています。

しかし、昭和期に発生した凄惨な事件の影響により、心霊スポットとしても知られるようになりました。

本記事では、東京の心霊スポットである道了堂跡の情報を紹介していきます。

東京の心霊スポット『道了堂跡』とは

道了堂跡へ続く道
道了堂跡のお地蔵様の姿
道了堂跡の様子

道了堂跡(どうりょうどうあと)』は、東京都八王子市鑓水の大塚山公園内に存在する史跡です。

1874年(明治7年)、鑓水の商人たちが浅草花川戸から道了尊を勧請し、翌年には正式名称「永泉寺別院 曹洞宗 大塚山大岳寺」として建立されました。

かつての道了堂は、「絹の道」と呼ばれ、生糸輸送路の中継地として栄えていたそうです。

しかし、1908年(明治41年)に横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると、「絹の道」の重要性が低下し、道了堂も次第に衰退していきます。

人足が遠のいた道了堂は、徐々に老朽化が進みましたが、高齢の女性が堂守として日々管理しながら参拝者を迎えていました。

しかし、1963年(昭和38年)9月に、件の堂守の女性が殺害される事件が発生。その後、道了堂は完全に無人となり、荒廃が進むことになります。

廃墟になった道了堂は、1986年(昭和61年)に八王子市が土地を買収し、解体され、1990年(平成2年)には旧道了堂の境内が大塚山公園として整備され、現在に至ります。

道了堂跡は、稲川淳二氏の怪談「八王子首無し地蔵」の舞台としても知られています。この怪談では、道了堂跡にある首無し地蔵に触れると祟りが起こるとされています。

また、昭和期には道了堂の周辺で凄惨な事件が発生し、幽霊の噂が囁かれるようになっていきました。

現在、大塚山公園内には道了堂の礎石や灯籠が残されており、往時の面影を偲ぶことができます。

また、絹の道資料館も近くにあり、「絹の道」の歴史や文化を学ぶことができます。

『道了堂跡』で起こる心霊現象

道了堂跡で泣いている老婆の霊のイメージ画像

老婆のすすり泣く声が聞こえる

道了堂跡で起きる心霊現象の一つが、老婆のすすり泣きが聞こえるというものです。

この声は、1963年に何者かに命を奪われた81歳の堂守の女性のものとされています。

女性は長年道了堂を守り続けていたため、参拝者にとっても親しみ深い存在でした。

事件の内容があまりにも悲劇的だったことから、老婆の魂は亡き後もこの場所に留まり、無念の気持ちを表していると語られます。

また、この老人の幽霊は、歌を歌いながら後ろ歩きをしているという噂もあるようです。

女子大生の霊が出没する

道了堂跡では、若い女性の幽霊も目撃されています。この女性の幽霊は、1973年に発生した女子大生殺害事件の被害者と噂されています。

この事件では、立教大学の助教授が教え子である女子大生を殺害。助教授は女性の遺体をこの地に遺棄したそうです。

幽霊を目撃した人の話では、女性が一人で歩いている様子や、うつむいた姿で立ち尽くしていたとされています。

白い車で訪問すると呪われる

道了堂跡には、「白い車で訪問すると不幸が起こる」という噂もあります。

この噂のもとになった事件や事故は明確ではありません。

しかし、過去に白い車で訪れた人が交通事故に遭ったり、体調を崩したりしたという噂が流れています。

首無し地蔵に触れると祟りが起こる

道了堂跡には首のない地蔵があり、それに触れると祟りが起こると言われています。

地蔵の由来や首がなぜ失われたのかは定かではありません。

しかし、興味半分でこの地蔵に触れた訪問者が、その後、不運に見舞われるという話が多く聞かれます。

この噂は、呪いや祟りの存在を信じる人々の間で広まり、恐怖の対象になっています。

ウワサされる心霊現象

  • 老婆のすすり泣く声が聞こえる。
  • 女子大生の霊が出没する。
  • 白い車で訪れると呪われる。
  • 首無し地蔵に触れると祟りが起こる。

過去に起きた事件と関係していそうな現象が多いようです。

『道了堂跡』の場所

住所東京都八王子市鑓水401番地
最寄り駅JR横浜線「片倉駅」
アクセス片倉駅から道了堂跡までは約2.4キロメートル
備考道了堂跡は塚山公園内にあります

私有地に無断で立ち入ると罪に問われます。絶対にやめましょう。

『道了堂跡』で過去に起きた事件・事故

1963年:堂守の女性殺害事件

1963年9月10日、道了堂の堂守を務めていた81歳の女性が殺害されました。

女性は、自宅の八畳間で喉や胸を刃物で刺され、顔に座布団を被せられた状態で亡くなっているのを、帰宅した長女が発見しました。

室内は物色された形跡があり、別室の棚から約300円が盗まれていました。

犯人は山梨県の労働者とされています。この事件以降、道了堂は無人となり、荒廃が進みました。

1973年:女子大生殺害・遺棄事件

1973年、立教大学の若い助教授が教え子である女子大生と痴情のもつれからトラブルになり、女子大生を殺害しました。

2人は不倫関係にあり、その清算を巡って口論となり、助教授が鑓水地区の恩師の別荘で彼女を殺害し、その後、遺体を埋めて遺棄しました。

犯人は同じ大学の教授に諭され、自供の意向を示しましたが、最終的には妻子と共に一家心中を図りました。

これらの血生臭い事件は、道了堂跡が心霊スポットとされる要因の一つとなっています。

『道了堂跡』心霊スポット化の理由を考察

夜の公園に出現する幽霊のイメージ画像

道了堂跡が心霊スポット化した背景には、過去に起きた事件や廃墟の雰囲気、人間の暗い情念が複雑に絡み合っています。

まず、1963年の堂守女性殺害事件や1973年の女子大生殺害・遺棄事件など、道了堂跡で発生した凄惨な事件は地元住民や訪問者に強烈な印象を与えました。

これらの事件は、人々の恐怖心に働きかけ、心霊的な話題の土壌を形成しました。

さらに、怪談師・稲川淳二氏による「首無し地蔵」の怪談が全国的に広まったことで、道了堂跡の存在が広く知られるようになりました。

この怪談では、地蔵に触れた者に祟りが及ぶという内容が語られ、道了堂跡の恐怖が強化された可能性があります。

また、道了堂跡が無人となり荒廃が進む中で、自然に覆われた廃墟のような雰囲気が増加。

夜間の薄暗さや静寂が訪問者に不気味さを感じさせました。

この視覚的・心理的効果が、訪問者の心霊体験を促進させたのではないでしょうか。

このように、過去の事件、環境、幽霊の噂の三要素が組み合わさり、道了堂跡が心霊スポットとしての地位を確立したのだと考えられます。

『道了堂跡』訪問時の注意点

道了堂跡は現在、大塚山公園として整備され、多くの人が訪れる場所となっています。

しかし、景勝地の裏側には凄惨な事件や心霊現象の噂が絡む特別な背景を持つため、訪問には十分な配慮が求められます。

夜間の訪問は避ける

大塚山公園は山中に位置しており、夜間は非常に暗く、足元が見えづらくなります。

照明が乏しいため、転倒やけがの危険性が高いだけでなく、不審者との遭遇リスクも高くなるため注意が必要です。

安全を確保するためにも、昼間の明るい時間帯に訪れることを強くおすすめします。

史跡や石仏に触れない

道了堂跡には、過去の道了堂に関連する礎石や石仏が残されています。

これらの文化財には、長い歴史が刻まれており、多くの人々の思いや祈りが込められています。

むやみに触れたり、損傷を与える行為は、歴史的価値を損ねるだけでなく、地元の人の信仰心を傷つける可能性があります。

敬意を払い、慎重な行動を心がけましょう。

地元住民への配慮

心霊スポットとして注目される道了堂跡ですが、地元住民の日常生活圏内にあります。

大声を出したり、夜間に無断で侵入するなどの行為は、迷惑になるだけでなく、地元住民とのトラブルを引き起こす可能性があります。

また、訪問者がゴミを捨てたり、公共のマナーを守らない行為も問題視されています。

訪問時には、静かに散策し、周囲の環境や住民への配慮を忘れないことが大切です。

まとめ

本記事では、東京の心霊スポット『道了堂跡』を紹介しました。

道了堂跡は、江戸時代の生糸輸送路「絹の道」として歴史的に重要な役割を果たし、その後、地域住民の信仰の場として親しまれてきました。

しかし、横浜鉄道(現JR横浜線)が開通すると、「絹の道」の重要性が低下し、道了堂も次第に衰退していきます。

さらに、昭和期に発生した凄惨な事件によって、心霊スポットとしての知名度が高まることになりました。

道了堂跡は、多くの歴史や人々の思いが刻まれた特別な場所です。

訪問する際には、興味や好奇心だけでなく、史跡に敬意を払い、地域住民や環境への配慮を忘れずに行動することを心がけましょう。

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