怨念によって空を飛んだ平将門の首のイメージ画像

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東京の心霊スポット『平将門の首塚』平将門の祟りの噂の真実とは!

東京都千代田区大手町に位置する「将門の首塚」は、平安時代中期の武将・平将門の首を祀る塚として知られています。

この場所は、歴史的な背景と数々の伝承から、心霊スポットとしても広く認識されています。

将門塚には、どのような謂れや曰くがあるのでしょうか?

本記事では、東京の心霊スポットとして知られる『平将門の首塚・将門塚』の情報を紹介します。

東京の心霊スポット『平将門の首塚』とは

東京都大手町にあった整備前の平将門の首塚
整備された平将門の首塚
将門の首塚を囲む東京都大手町の高層ビル

『平将門の首塚(たいらのまさかどのくびづか)・将門塚(しょうもんづか)』は、東京都千代田区に存在する史跡で、平将門の首を祀った塚として知られています。

かつて、この周辺には古墳があったとされ、「武蔵国豊嶋郡芝崎村」と呼ばれた地域で、近くには日輪寺や神田明神がありました。

1307年(徳治2年)、僧侶の他阿真教が荒廃していた首塚を整備し、平将門に「蓮阿弥陀仏」の法名を贈るとともに、自ら揮毫した石碑を建て、日輪寺で供養を行いました。

その後、1309年(延慶2年)には、将門の霊が神田明神に祀られるようになりました。

現在でも毎年9月の彼岸には「将門塚例祭」が行われ、5月の神田祭では神輿や鳳輦が渡御するなど、伝統行事として引き継がれています。

明治時代に入ると、廃藩置県の影響で大蔵省がこの地域に庁舎を建設するなど、首塚周辺の環境は大きく変化していきます。

1923年には、関東大震災が起こり庁舎が焼失。仮庁舎の建設に際して、首塚が一時取り壊されることもありました。

その後、不幸な出来事が続いたため、「将門の祟り」として恐れられ、1927年(昭和2年)に鎮魂碑が建てられ、盛大な鎮魂祭が行われました。

この鎮魂碑には「南無阿弥陀仏」と刻まれており、歴史的価値も認められています。

さらに、昭和15年(1940年)には落雷による火災で大蔵省庁舎が焼失。

戦後には米軍による整地作業中にブルドーザーの事故が発生するなど、さまざまな災難が続きました。

これらの出来事から、首塚は神聖で恐ろしい場所として知られるようになったのです。

2020年には、隣接地で行われた再開発事業に合わせ、首塚の第6次改修工事が行われました。

この改修では、「時代にふさわしい新しい将門塚」を目指して整備が進められ、現代的な管理性と安全性が向上しました。

また、将門の首が京都から飛んで帰ったという伝説にちなみ、「必ず帰る(カエル)」の意味を込めた蛙の置物が奉納されています。

この習慣は、1986年の若王子事件以降特に目立つようになり、行方不明者の無事な帰還や左遷からの復帰を願う象徴となっています。

平将門の首塚は、歴史的な意義とともに、地域の人々の信仰の場として大切にされています。

現在も地元のボランティア団体が清掃や整備を続けており、活動資金として「平将門」名義の口座が開設されていたこともあります。

平将門の首塚は、東京都指定の旧跡であり、歴史的にも重要な存在です。

平将門の歴史と将門塚の起源

平将門(たいらのまさかど)は、平安時代の関東地方に勢力を持った豪族です。

第50代桓武天皇の血を引く皇族で、平氏の姓を賜った高望王の三男である鎮守府将軍・平良将の子にあたります。

将門は、下総国や常陸国に広がる平氏一族の抗争に巻き込まれる中で、関東全域で大きな勢力となっていきました。

そして、国府を襲撃して印鑰(重要な行政の印や鍵)を奪い、京都の朱雀天皇の朝廷に対抗。

自らを「新皇」と名乗り、東国の独立を目指しましたが、その支配は短命で新皇即位からわずか2カ月、『承平天慶の乱』で藤原秀郷や平貞盛らによって討伐されました。

死後、将門は怨霊として恐れられ、日本三大怨霊の一人に数えられています。

その霊は、御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などで祀られ、現在でも多くの信仰を集めています。

将門塚と怨霊鎮めの歴史

将門塚は、古くから平将門の怨霊を鎮めるための神聖な場所とされてきました。

江戸時代には姫路藩酒井家の上屋敷内に位置し、地域住民や藩の人々によって畏敬の念を持って守られてきました。

関東大震災後の再開発や戦後の区画整理の際には、さまざまなトラブルが起こり、将門の祟りと恐れられ、工事が中止さえたとの逸話残されています。

現在の将門塚の保存状況

将門塚は東京都指定の旧跡であり、周辺の再開発が進む中でも保存されています。

近隣企業や地元住民による「史蹟将門塚保存会」が維持管理を行い、歴史的価値を保つ努力が続けられています。

ビジネス街の中心にあるにもかかわらず、将門塚は静けさと荘厳さを感じさせる空間として多くの人々に親しまれています。

パワースポットとしての将門塚

将門塚は勝負運や仕事運向上を願う参拝者に人気のパワースポットです。

特に「首が東国に飛んで帰った」という伝承にちなみ、「帰る(カエル)」にかけた蛙の置物が奉納されることも多いです。

この独特な信仰形態が、現代でも将門塚を訪れる理由となっています。

将門塚の存在意義と魅力

将門塚は、平将門の歴史や伝承を現代に伝える貴重な史跡です。

その起源や怨霊信仰、パワースポットとしての側面は、歴史的・文化的な価値を今も維持しています。

都心という立地にもかかわらず、長い時を経てなお強い存在感を放っています。

『平将門の首塚』で起こる心霊現象

平将門の霊がもたらす祟りのイメージ画像

将門の首塚には、古くから語られる心霊現象の噂が存在します。

心霊スポットでは定番な噂から、平将門の逸話に関連する祟りまで幅広い内容の噂が囁かれています。

祟りの噂

疫病の流行と将門の祟り

14世紀初頭、疫病が流行し、多くの人々が亡くなりました。

この疫病は将門の祟りとされ、将門の霊を鎮めるために神田明神が将門を祀るようになりました。

関東大震災後の大蔵省仮庁舎建設時の不幸

1923年の関東大震災後、被災した大蔵省は首塚の敷地を整地し、仮庁舎を建設しました。

しかし、その後の2年間で大蔵大臣を含む14名の関係者が相次いで亡くなるという不幸が続きました。

これらの出来事は、将門の祟りによるものと噂され、最終的に仮庁舎は取り壊されたと言われています。

戦後のGHQによる首塚撤去計画時の事故

第二次世界大戦後、GHQが首塚を撤去する計画を立てました。

しかし、工事中にブルドーザーが横転し、運転手が死亡する事故が発生しました。

この出来事も将門の祟りとされ、工事は中止されました。

首塚周辺での不幸な出来事

首塚を軽視したり、無断で手を加えようとすると、不幸が訪れるという噂が広まりました。

地元の人々や関係者の間で畏敬の念を持たれ、首塚は慎重に扱われるようになりました。

ウワサされる心霊現象

  • 疫病の流行と将門の祟り
  • 関東大震災後の大蔵省仮庁舎建設時の不幸
  • 戦後のGHQによる首塚撤去計画時の事故
  • 首塚周辺での不幸な出来事

『平将門の首塚』の場所

住所東京都千代田区大手町1-2-1
最寄り駅東京メトロおよび都営地下鉄の大手町駅
アクセスC5出口を出てすぐ
備考周辺はオフィス街、訪問の際は周囲の環境に配慮しながら参拝

私有地に無断で立ち入ると罪に問われます。絶対にやめましょう。

『平将門の首塚』で過去に起きた事件・事故

語り継がれる平将門の怨霊のイメージ画像

平将門の首塚では、古くから祟りによるものとされる事件や事故が発生しています。

祟りが事実かは不明ですが、曰くがあるのは確実なようです。

大蔵省仮庁舎建設時の不幸

1923年の関東大震災後、被災した大蔵省は将門の首塚の敷地を利用し仮庁舎を建設しました。

しかし、その後の約2年間で、大蔵大臣を含む14名の関係者が相次いで亡くなるという不幸が続きました。

この一連の出来事は「将門の祟り」とされ、仮庁舎は最終的に取り壊されました。

GHQによる首塚撤去計画の事故

第二次世界大戦後、GHQは東京の都市再開発の一環として首塚の撤去を計画しました。

しかし、工事初日にブルドーザーが横転し、運転手が死亡する事故が発生。

この事件をきっかけに工事は中止され、「祟り」の噂が再燃しました。

銀行建設計画の中断

ある銀行が首塚の敷地内に建設計画を進めた際、関係者に次々と不幸が起きたとされています。

この出来事により、計画は中止され、首塚の敷地は再び慎重に扱われるべき場所と認識されました。

疫病流行との関連

14世紀頃、関東地方で疫病が流行し、地域住民の間では「将門の祟り」と信じられるようになりました。

このため、将門の霊を鎮めるために首塚の祀りがより重視され、神田明神でも将門を神として祀るようになりました。

『平将門の首塚』心霊スポット化の理由を考察

雷雨の中を飛び回る平将門の首のイメージ

平将門は、「日本三大怨霊」の一人として名を連ねる武将で、新皇を自称し朝廷に反旗を翻したことから、死後も怨念が災いをもたらすと信じられてきました。

この怨霊伝説は、現代でも語り継がれていることから、多くの日本人の記憶に刻み込まれています。

また、首塚付近では、工事に関連して何度も不幸な事故が発生しています。

特に有名なのは、関東大震災後の仮庁舎建設やGHQの撤去計画時の死亡事故です。これらは「将門の祟り」として恐怖の対象となっています。

こうした祟りの噂は、首塚を疎かにすると不幸が訪れるとの恐れを広め、地元住民や関係者が首塚に敬意を持って扱う文化を生み出しました。

このように、平安時代から現代に至る歴史的背景と伝承により、平将門の首塚は心霊スポットとして有名になっていったと考えられます。

将門塚が心霊スポット化した理由の考察

  • 平将門の怨霊伝説
  • 工事中の不幸な出来事
  • 祟りへの恐れと噂の拡散
  • 歴史的背景と伝承の蓄積

ある意味では、日本の古き良き文化の集大成と言えるでしょう。

『平将門の首塚』訪問時の注意点

将門の首塚を訪れる際には、マナーを守ることが大切です。

将門塚は、平将門の霊を鎮める神聖な場所になっており、地元住民やボランティアによって管理され、清掃や維持が行われています。

また、オフィス街に存在するため、訪問時は大声で騒いだりごみを捨てたりしないようにしましょう。

平将門の祟りが現実に起きるか否かは不明ですが、軽率な行動や不敬な言動を避け、誠意を込めて手を合わせましょう。

まとめ

本記事では、東京の心霊スポット『平将門の首塚・将門塚』を紹介しました。

将門の首塚は、歴史と伝承が根付いている特別な場所です。

その特有の歴史的背景や怨霊伝説の影響から、国内では、心霊スポットとしても広く知られています。

将門塚を訪問する際には、興味本位ではなく、平将門の生涯や時代の背景に思いを馳せることが大切です。

特に、この首塚が長年にわたり多くの人々によって大切に守られてきたことや、その信仰の歴史を理解することが、とても重要です。

また、恐ろしい噂が流れていますが、怨霊や祟りの話に惑わされることなく、伝承や歴史に基づいた正しい情報を基に行動することで、将門の首塚の持つ本来の価値をより深く感じることができるでしょう。

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