ハリウッドには数多くの伝説がありますが、なかでも映画『Atuk(アトゥック)』の持つ伝説は特別な位置を占めています。
本来ならば、この映画『Atuk(アトゥック)』は単なるコメディ映画に過ぎないはずでした。
しかし、映画『Atuk(アトゥック)』が未完成に終わった理由とそれにまつわる都市伝説を知ると、単なるコメディ映画ではないことが分かります。
本記事では、関わった人々に次々と不幸が訪れたため『呪われた映画』として有名になってしまった『Atuk』についてご紹介します。
序章
この映画プロジェクトは1970年代に企画され、文化の衝突やアイデンティティの探求といったテーマを面白おかしく扱った、コメディ映画になるはずでした。
しかし、ジョン・ベルーシ氏、サム・キニソン氏、ジョン・キャンディ氏、クリス・ファーレイ氏、そしてフィル・ハートマン氏といった主役を演じる予定だった俳優たちが、相次いで亡くなったのです。
これらの出来事は偶然の一致と片付けられるにはあまりにも奇妙で、映画『Atuk』にまつわる呪いの伝説を生み出しました。
映画制作においては、多くのプロジェクトが様々な理由で中断されることがありますが、映画『Atuk』の場合は、それに関わる人々が不慮の死を遂げるという、極めて異常な形での中断が繰り返されました。
この一連の不幸な出来事は、映画業界だけでなく、オカルトや超自然現象に興味を持つ人々の間でも広く知られることとなり、映画『Atuk』はハリウッドの最も有名な都市伝説の一つとして語り継がれています。
本記事では、映画『Atuk』の魅力と、それにまつわる謎を掘り下げることで、呪われた映画の謎に迫っていきます。
『アトゥック』の伝説
映画『Atuk』の原点は『The Incomparable Atuk』というモーデカイ・リチラーの小説になります。
『The Incomparable Atuk』は、日本語にすると【比類なきおじいちゃん】となり、これは、エスキモー系の民族が使うイヌイット語だそうです。
その内容は、『カナダの先住民であるイヌイットのおじいちゃんが、カナダ最大の都市・トロントに引っ越してきて様々なギャップに面白おかしく対応していく物語』です。
都会の生活に馴染めず、さまざまな混乱を引き起こす『Atuk』の姿は、文化の衝突やアイデンティティの探求といったテーマをコミカルに扱っていると評価されています。
映画のジャンルは『コメディー』に分類され、ホラーやグロテスク要素を含んだ作品ではありませんでした。
しかし、映画の撮影のなかで発生した主演俳優の突然の死は、映画の内容以上に人々の興味を惹きつけ、呪われた映画という伝説を作り上げたのです。
映画『Atuk(アトゥック)』の呪い!悲劇のはじまり
映画『Atuk(アトゥック)』の呪いと呼ばれる悲劇は、物語の主役であるAtukをキャスティングしたところから始まると言われています。
悲劇に巻き込まれた俳優は何と5人にもなり、まさに呪いと呼ばれるに相応しい展開と言えるのではないでしょうか。
『ジョン・ベルーシ』
映画『Atuk』にまつわる呪いは、大人気のコメディアンであった『ジョン・ベルーシ氏』のキャスティングから始まります。
ベルーシ氏は、バラエティ番組『サタデー・ナイト・ライブ』で人気を獲得した俳優・コメディアンで、名作映画『ブルース・ブラザーズ』にて兄のジェイク役を演じていました。
映画『Atuk』では、主人公であるAtuk役のオファーを受けて快諾しましたが・・・。
その人気が絶頂期だった1982年3月5日に、ハリウッドの高級ホテル『シャトー・マーモント・ホテル・アンド・バンガローズ』の客室内で死亡しているのが発見されました。
死因は、薬物の過剰摂取でコカインとヘロインを混合した『スピードボール』の乱用が原因であったと言われています。享年33歳でした。
ベルーシ氏は、その人気から大きな期待を寄せられていたため、彼の死は多くの人々に衝撃を与えました。
そして、この件は映画『Atuk』による悲劇のはじまりになるのですが、この時はまだそのことに誰も気が付いていなかったのです。
サム・キニソン
ジョン・ベルーシ氏が急死したことで、次の主人公Atuk役を決める必要が出てきました。
白羽の矢が立ったのは、俳優でありコメディアンのサム・キニソン氏です。
キニソンは元々は、ペンテコステ派の説教者で、プロテスタントの説教で使われる特有の雄叫びや、熱狂的な演説をコメディーにして絶大な人気と支持を得ることに成功しました。
彼の独特の叫び声は、多くの場面で圧倒的存在感を博し、爆笑の渦を巻き起こします。そうしてキニソン氏はどんどん知名度を上げていきました。
しかし、そんなキニソン氏の最期はあっけないものでした。
ジョン・ベルーシ氏の後を継いでAtuk役にキャスティングされてすぐに、交通事故で命を落としてしまったのです。
キニスン氏が新婚旅行を兼ねたラスベガス遠征中のことでした。1992年4月10日、彼の愛車であるポンティアックターボトランザムで高速道路を走行中、17歳の青年が運転するピックアップトラックと正面衝突してしまいます。
キニスン氏は、車の座席の間で意識がない状態で発見されました。彼はシートベルトを着用しておらず事故の衝撃でフロントガラスにアタマから突っ込んで頸部と頭部に大きなダメージを負い、その場で死亡されたと伝えられています。
ピックアップトラックを運転していた17歳の青年は、事故の前にアルコールを摂取しており、完全な飲酒運転だったそうです。
この二つの出来事は、映画に対する不吉な雲を更に濃厚にしました。映画『Atuk』の制作は一度中止されました。
奥さんもケガをしましたが、命はとりとめて後に回復したそうです。
ジョン・キャンディ
サム・キニソン氏の死亡により一度はプロジェクトが停止した映画『Atuk』ですが、映画権を買収して撮影まで進めたノーマン・ジェイソン氏は映画製作を諦めきれないのか、再びプロジェクトが始まります。
サム・キニソン氏の次には、『ホームアローン』で知られるジョン・キャンディ氏がこの役に選ばれました。
ジョン・キャンディ氏は、コメディ劇団の『セカンド・シティ』のトロント支部に参加し、同劇団のバラエティ番組に出演して人気が爆発!多くのファンを生むことになりました。
1980年代に入ると、俳優としてのキャリアも着々と築いていき、スティーヴン・スピルバーグ監督の『1941』などにも出演しています。
そんな将来を期待されていたジョン・キャンディ氏は、1994年3月4日に就寝中に突然の心臓発作により43歳の若さで急死してしまいます。
ジョン・キャンディ氏の死は、Atuk役を快諾してすぐのことだったと言われています。
ジョン・キャンディ氏の死により、再び映画『Atuk』のプロジェクトは凍結されました。
クリス・ファーレイ
ジョン・キャンディ氏の死により、主演オファーを受けた役者が3人も亡くなったことになります。
関係者は、気味悪く思い撮影から距離をとります。再び映画『Atuk』のプロジェクトは凍結されたのです。
主演のオファーを受けてくれる人が見つからなかったことも、プロジェクト凍結の原因のひとつでした。
しかし、またしても映画『Atuk』のプロジェクトは立ち上がります。
新たにAtuk役のオファーがかかったのは、クリス・ファーレイ氏。
クリス・ファーレイ氏は、『サタデーナイトライブ』での活躍で人気を獲得し、一躍人気コメディアンになった人物で、1992年には、マイク・マイヤーズ氏主演の『ウェインズ・ワールド』で映画デビューも果たしています。
Atuk役として活躍を期待されていた彼ですが、ジョン・ベルーシ氏と同じく薬物の過剰摂取により享年33歳で急死してしまいます。
ファーレイ氏の死により、プロジェクトに対する不安はさらに高まりました。
フィル・ハートマン
クリス・ファーレイ氏の死後、凍結されていた映画『Atuk』のプロジェクト・・・。
数年後にまたしても再始動することになります。
5人目のAtuk役に選ばれ、オファーを受けたのはフィル・ハートマン氏でした。
フィル・ハートマン氏は、アメリカのコメディアン、俳優、声優で、『サタデーナイトライブ』(SNL)での活躍で最もよく知られていました。
彼はSNLに1986年から1994年まで出演し、その間に多くのキャラクターを演じて幅広い声の才能を披露しまし、テレビシリーズ『ザ・シンプソンズ』でいくつかのキャラクターの声を担当し、特に弁護士のライオネル・ハッツや映画監督のトロイ・マクルアの声で知られています。
フィル・ハートマン氏は、これまでの『Atuk』プロジェクトの悲劇を知っていたため、オファーを断りました。
しかし、スカウトマンが何度も頭を下げてお願いしたことで、フィル・ハートマン氏はオファーを受け入れてしまいます。
その結果は、これまでと同様にフィル・ハートマン氏の死によって幕を閉じます。
彼の死因は銃殺!
1998年5月28日、ロサンゼルスにある自宅の寝室で、数発の銃撃を受けた射殺体で発見されたのです。
同じ寝室内では、妻で女優だったブリン・ハートマンが自ら頭を銃で撃ちぬいた状態で発見されたため、警察当局はハートマン氏はブリンによって射殺されたと発表。享年49歳でした。
ハートマン氏の身に降りかかった悲劇により、『アトゥック』プロジェクトにまつわる一連の不幸な出来事は一応の終結を迎えました。
これらの一連の出来事は、単なる偶然の一致と考えるにはあまりにも悲惨で不吉だったため、映画『Atuk』には呪われていると言う噂が流れることになります。
映画『Atuk』の呪いに対する考察
映画『アトゥック』に関する呪いを巡る考察は、オカルト的なものから、ハリウッドの圧力や偶然起きた悲劇の連鎖だとする現実的な考えまで、幅広く存在します。
一部では、このプロジェクトに関わる人々の相次ぐ不幸は、呪いによるものと信じられていて、特にオカルトや超自然現象に関心がある人々の間で人気のテーマになっています。
一方で、より現実的な考え方をするひとたちがいます。
そう言った人たちのなかでは、一連の悲劇は『ハリウッドの過酷な環境』が原因となっていると、考えられています。
人気俳優としての『常に付きまとう強いプレッシャー』『撮影に関する生活の不規則さ』そして拳銃や違法薬物が容易に入手できる環境が彼らの健康を害し、命を奪ったと考察しているようです。
また、単純に不幸な出来事が偶然、連鎖して場合でも、情報を得る機会の少ない外部からでは、まるで呪いのように映ることもあると考えられています。
さらに人間は、理解できない事を自らの予測や憶測で埋めようとする傾向があり、そう言った場合、本来は全く関係なかったはずの、偶然起きた不幸の中から共通点を見つけ出して結びつけてしまうのです。
そうなると、関係なかったはずの出来事がまるで、脈々と続いている呪いに見えてくる可能性もあるのではないでしょうか・・・。
このように映画『Atuk』に関連する呪いは、多くの人の興味を引き付け、その伝説を今日に至るまで生き続けさせているのです。
映画『Atuk』は、脚本が行方不明になっていることも憶測を呼ぶ要因となっているようです。
映画『Atuk』が社会に与えた影響
映画『Atuk』にまつわる呪いの考察は、オカルト的なものから理論的なものまで多岐にわたります。
一部では、映画『Atuk』に関わる俳優たちの相次ぐ不幸は、悪魔的な力が働いているとする説を唱えており、こういったオカルト的な考察は、映画『Atuk』が持つ秘密をより興味深いものにしています。
他方で、より現実的な見方をする声もあります。ハリウッドの圧力、業界内のストレス、そして不健康な生活習慣が、これらの悲劇の背景にあるという考えです。
この考えからは、映画『Atuk』にまつわる悲劇は、当時の映画業界の暗部を浮き彫りにしているとも言えるでしょう。
さらに、消えた脚本に関する謎も、映画『Atuk』プロジェクトへの関心を高める要因となっています。
脚本がどこに消えたのか、そしてなぜそのような運命を辿ったのかについての憶測は尽きません。
このような不確かな要素が、映画『Atuk』の魅力を一層増しているのです。
結論
映画『Atuk』とそれにまつわる呪いの物語は、ハリウッドの謎に満ちた伝説として、長年にわたり多くの人々を魅了し続けています。
このプロジェクトが抱える秘密と、それに関わった人々の悲劇的な運命は、多くの人々の興味や関心を引き付けてやみません。
人々がこのプロジェクトに引き寄せられる理由の一つに、その中に秘められた「もしも」の可能性があります。
「もしも映画『Atuk』が完成していたら?」という疑問は、映画関係者だけでなく多くの人が夢想するテーマのひとつと言えるでしょう。
作品が持つ潜在的な力と、それを取り巻く状況が如何にしてその実現を妨げ得るかを私たちに考えさせます。
映画『Atuk』への関心が衰えることなく、都市伝説として生き続けているのは、これらの普遍的なテーマが我々の想像力を掻き立て、深い共感を呼び起こすからに違いないでしょう。
いつかまた、映画『Atuk』が、私たちの前に姿を現すことがあるのかもしれませんね。