三重県津市にとてもオカルト好きであれば、知らない人はいないと言われる海岸が存在します。
その海岸の名前は『中河原海岸』で、あの『橋北中学校水難事件』は起きた場所なのです。
幽霊が原因で起きたと言われる橋北中学校水難事件ですが、実際のところはどうだったのでしょう・・・。
本記事では、『中河原海岸』で起きた事故や噂される心霊現象を調査して紹介しています。
『中河原海岸』と『橋北中学校水難事件』の謎を覗いてみましょう。
三重県『中河原海岸』
『中河原海岸』とは
『中河原海岸(なかがわらかいがん)』は、三重県津市に存在する海岸です。
白い砂浜と穏やかに波打つ海が広がり、カモメが青空を舞う景色が美しい場所で海岸沿いを走る車の音と波の音が心地よく響き、釣りや散歩に最適な環境を提供します。
国立大学からも近く、地元住民や訪問者にとってリラックスできるスポットとなっている中河原海岸ですが、過去に悲しく悲惨な事故が起きているのです。
昭和30年の7月28日にその事故『橋北中学校水難事件』は起こりました。
この海岸で水泳訓練を行っていた、橋北中学校の女子生徒36人が溺死したのです。
その日の天気は快晴で、風も波も穏やかな絶好の海水浴日和でした。
この水泳訓練のため、担当教師と数名の水泳部の生徒が事前に海に入り、限界地点を示す目印の竿を立て『遠浅の海を沖に向かって40メートルほどまでを訓練場所』としていたそうです。
その際に教師は、水泳部の生徒から「満ち潮の流れとは違った流れがある」という報告を受けたものの、大きな支障はいと判断して訓練は実施されました。
訓練の参加者は男子204名、女子197名、合計401名で、引率教員は校長をはじめとして19名でした。
この日は訓練の最終日であり、テストが予定されていたため、男女で別の場所で海に入り訓練を行う前に注意事項の説明と準備運動として10分ほどの入水が指示された後に一斉に海に入ることに・・・。
そのわずか数分後のことでした。突然女子生徒たちが溺れだしたのです!
水に入った生徒の約半数の100名ほどが、あっという間に流れに引き込まれて旗の外に流されました。
とにかく足をさらわれ、立つことも浮かび上がることもできないまま、泳ぎの不得意な女子生徒たちが海の底へ引き込まれてしまったのです。
事故からちょうど一年後の1956年に、犠牲になった女子生徒たちを悼み、これ以上の犠牲者を出さないようにという願いを込めて、女神像が建立されました。
この像は海を見守る存在として、今もなお地元住民や訪れる人々によって尊重されているそうです。
なお、海岸は遊泳禁止となっています。
この海岸で水泳授業を行っていた女子中学生36人が溺死した。生存したのはわずか9人。
『中河原海岸』の場所
住所 | 〒514-0011 三重県津市高洲町17-17 |
最寄り駅 | 津駅 |
アクセス | 津駅から徒歩で24分ほどで到着 |
備考 | 海岸は遊泳禁止! |
『中河原海岸』で過去に起きた事件・事故
『中河原海岸』は、第二次世界大戦時の昭和20年7月28日に米軍機の大空襲を受けて250人余りの人が亡くなった場所です。
その際に、火葬しきれない遺体をそのまま埋めた場所だとも言われています。
また、中河原海岸では『橋北中学校水難事件』以前にも水難事故が発生しています。
昭和7年の8月2日には、海水浴中の明徳小学校の児童6名が溺死しているのです。
この児童たちは、海に入ると突然溺れて溺死したと言われています。
明徳小学校の児童の事故は、第二次酒井大戦が開戦する前なので、それ以前から何らかの曰くはあったのかもしれません・・・。
『中河原海岸』で起こる心霊現象
中河原海岸で発生する心霊現象は、水難事故に関するものが多いです。
防空頭巾を被った女性の幽霊に足を引っ張られる
中河原海岸では、防空頭巾を被った霊が足を引っ張り、生きた人間を海に引き込むと言われています。
橋北中学校の中学生が36人溺死した事故では、生存者の女子生徒たちが「防空頭巾の女に襲われた」と証言して、「女性自身」昭和38年(1963年)7月22日号に掲載されています。
頭に濡れた防空頭巾をかぶり、モンペをはいていた何十人という女性が突然、姿を現し、必死に逃げようとする女子生徒たちの足を捕まえてい海底に引っ張っていったそうです。
この話が元になり、中河原海岸の水難事故といえば『防空頭巾の女性の霊がひき起こした』という怪奇現象が広まりました。
7月28日に中河原海岸に幽霊が出現し、生者を海底に引き込む
中河原海岸では、『橋北中学校水難事件』以前にも水難事故が、たびたび発生していました。
7月下旬、特に28日頃は非常に危険で、幽霊が海岸一帯に出現して勢の命を奪うと噂されています。
慰霊碑のマリア像が血の涙を流す
橋北中学校水難事件から1年後に慰霊碑としてマリア像が建立されました。
マリア像は、海を見守る存在として『犠牲になった女子生徒たちを悼む』と共に、『これ以上の犠牲者を出さないように』という願いが込められています。
しかし、この像が血の涙を流すというのです!
海岸で犠牲になった人のことを哀しみ泣いているのかもしれません。
ウワサされる心霊現象
- 防空頭巾を被った女性の幽霊に足を引っ張られる!
- 7月28日に中河原海岸に幽霊が出現し、生者を海底に引き込む。
- 慰霊碑のマリア像が血の涙を流す。
- 中河原海岸で写真を撮ると、心霊写真が撮れる。
- 海岸を歩いていて人の気配を感じて振り返ると、女性が笑顔で走って追いかけてきた!
『中河原海岸』心霊スポット化の理由を考察
中河原海岸が心霊スポット化した理由には、いくつかの要因が組み合わさっていると考えられます。
まず、この地で発生した悲劇的な出来事、特に1955年に起きた橋北中学校の水難事故が大きな影響を与えていることは間違いありません。
事故では多数の生徒が亡くなり、その悲しみや未解決の謎が心霊スポットとしてのイメージを強化しているのでしょう。
事故の原因については、異常流や急激な水位の上昇など、様々な理論が提唱されましたが、決定的な結論は出ていない上、さまざまな報道や書籍で取り上げられ、その中で生存者の一人が海中で「防空頭巾を被った者に引きずり込まれた」と証言していたことが大きな話題となりました。
このような状況に加え、中河原海岸がもともと水難事故が多い場所だった事や、昭和20年7月28日に起きた大空襲で250人余りの人が亡くなったこと、火葬しきれない遺体をそのまま埋めたことが周知されることで心霊スポットとしての知名度が広まっていったと考えられます。
しかし、『防空頭巾を被った者に引きずり込まれた』という証言については、後になってから捏造や誇張があったのではないかという疑問が提起され、メディアによる大々的な報道や著名な作家によって作り上げられた物語だったという指摘をされています。
結局のところ事故の原因が何であれ、実際に水難事故は起こり慰霊碑が立てられていますし、中河原海岸は遊泳禁止となっている事実があるので、心霊現象も完全には否定できないとも言えるのではないでしょうか・・・。
遊び半分や興味本位で近づいてはイケナイ場所なのかも知れませんね。
『中河原海岸』訪問時の注意点
中河原海岸は、遊泳禁止となっていて、地元の人達もそれを守っているそうです。
謎の水難事故が続いた場所であり、戦時中に多くの人が亡くなった場所なのでオカルト的な興味は尽きませんが、遊び半分で近づくのはやめましょう。
特に、海の中に入るのは危険です。
心霊現象が起きないとしても、事故の原因が完全に解明されたわけではないので、ふとした拍子に波にのまれてこれまでの被害者と同じ道をたどる可能性も否定できません。
山と水辺は甘く見ると、すぐに命を落すことになりますよ!
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まとめ
本記事では、三重県の心霊スポット『中河原海岸』を紹介しました。
『中河原海岸』では、過去に『橋北中学校水難事件』という痛ましい事件が起きています。
この事故の原因は現在でも完全には解明されておらず、幽霊の仕業だという噂も流れているようです。
オカルト好きには、堪らないスポットですが夜の海など危険極まりないため、肝試しなど遊び半分で近づくのはやめておきましょう。
『橋北中学校水難事件』に関しては、多くの情報がインターネッ上に流れているうえに、事件について考察している書籍も販売されています。
出来る限り危険を冒さずに、知的好奇心を満たすために、そういった情報に触れるのも良いのではないでしょうか。
夜の海は本当に危険です。出かけるとしても昼間にして、遠くから眺めるだけにとどめておきましょう。