九州には、キリスト教徒弾圧の歴史があります。
最も有名なのは1637年(寛永14年)に島原・天草地域で起きた『島原の乱』ですが、大分県でも同じような出来事があったのです。
このキリスト教徒弾圧で、200人以上の殉教者が犠牲になったと言われています。
大分県大分市葛木にある『キリシタン殉教記念公園』は、この時の犠牲者の魂を弔うためにつくられました。
本記事では、悲しい歴史を刻む地『キリシタン殉教記念公園』を紹介します。
大分県『キリシタン殉教記念公園』とは

『キリシタン殉教記念公園』は、大分県大分市葛木につくられた墓地公園です。
大分県は安土桃山時代に、領主であった大友宗麟がキリスト教へ改宗した影響もあり、住民の集団改宗が進むことになりました。
このため、大分県は日本におけるキリスト教、布教の中心地のひとつとなっており、最盛期には1万人を超えるキリシタンがいたと言われています。
しかし、大友宗麟が没すると、キリスト教は次第に勢いを失っていきました。
そして、大友宗麟の長男である吉統の改易と追放によって、大友領地は天領や7つの小藩に分断されることになります。
その結果、1612年(慶長17年)に幕府直轄領にキリシタン禁教令が出されて、全国に拡大されると、大分県でも各藩の藩主が、それぞれキリシタン弾圧に乗り出すことになったのです。
大分県は、キリシタンの中心地のひとつであったため、非常に厳しい取締りが行われ、1659年からの豊後露見(豊後崩れ)では、大分県全域で1,000人を超える殉教者が出たと言われています。
なかでも、キリシタン殉教記念公園がある葛木では、14歳から84歳までの約200人にも上る、多数の殉教者を出すことになったと伝えられています。
犠牲になった殉教者の魂を弔うために、昭和45年6月に当時の大分市長上田保が中心となって、記念公園として整備されました。
公園内には、北村西望氏作によるキリシタン殉教の記念碑が建てられています。
『キリシタン殉教記念公園』で起こる心霊現象

『キリシタン殉教記念公園』では、公園内を殉教者の魂が彷徨っていると噂されています。
殉教者の幽霊が目撃される
キリシタン殉教記念公園では、前述したとおり多くのキリスト教信者が命を落しています。
老人や少女の霊を目撃した話や、写真を撮影すると心霊写真が撮れると言われているようです。
幽霊に憑りつかれる
かつて、キリシタン殉教記念公園を肝試し目的で訪問して、悪戯をした青年が幽霊に憑りつかれたと言う噂があります。
記念碑や墓石を蹴り、公園内を荒らした青年は後日、体調を壊したそうです。
霊媒師が青年を視ると、青年の足首を幽霊が握りしめていたのだとか!
さらに、青年の足を掴んでいる幽霊に、別の幽霊がしがみ付いており、それが人間の鎖のように、青年の足から公園まで無限に繋がっていたそうです。
ウワサされる心霊現象
- 幽霊が目撃される。
- 人影が目撃される。
- 霊障が起きる。
- 心霊写真が撮れる。
- 人魂が目撃される。

地元では、有名な心霊スポットのようです。
『キリシタン殉教記念公園』の場所
住所 | 〒870-0133 大分県大分市葛木326 キリシタン殉教記念公園 |
最寄り駅 | 高城駅 |
アクセス | 高城駅から3.6㎞ |
備考 | 最寄り駅から3.6㎞ほどの距離ですが、登坂がキツイため車での移動がお勧めです |
『キリシタン殉教記念公園』で過去に起きた事件・事故
大分県では、1660年から1682年にかけて『豊後崩れ』と呼ばれるキリシタン弾圧事件が発生しました。
キリシタン殉教記念公園がある葛木地区でも、14歳から84歳までの約200人にも上る多数の殉教者が出たと伝えられています。
この時、捕まった人の行方は記録に残されているらしく、葛木村で検挙された12歳の少女から87歳の老翁までの92名のうち、長崎で死罪となった者が27名、長崎や日田で牢死した者が23名、江戸送りとなった者が2名、病死した者が1名、1686年時点で長崎や日田の牢屋にいた者が7名だったそうです。
葛木村は天領、臼杵領、竹田領、肥後領、延岡領に分類されていたため、監視の目が厳しかったこと、キリシタンが多く住んでいたこと、またキリシタン達の活動の中心地でもあったことが、厳しい弾圧を引き起こした原因であると言われています。

葛木地区は、あまりにも悲惨な状況から、『獄門原』と呼ばれたそうです。
『キリシタン殉教記念公園』心霊スポット化の理由を考察

キリシタン殉教記念公園が心霊スポット化した理由は、過去に起きた『豊後崩れ』と同地が墓地公園である事でしょう。
そもそも、墓地や墓地公園は心霊スポット化しやすい傾向があります。
管理人の地元には、2ヵ所の墓地公園がありますが、どちらも心霊スポット化しています。
この条件と、過去に起きたとされる悲惨な出来事が組み合わさることによって『キリシタン殉教記念公園』は、心霊スポットと呼ばれるようになったと考えられます。

『キリシタン殉教記念公園』の周辺にある施設でも、心霊現象が起きているとか…。
『キリシタン殉教記念公園』訪問時の注意点
キリシタン殉教記念公園の周辺は、住宅地となっています。
夜間に訪問して、大声で騒ぐと近隣住民の迷惑となるので、行動には注意してください。
また、公園内は夜になると灯りが少なく、かなり暗くなります。
無用のトラブルに巻き込まれないためにも、夜間の訪問は避けた方が良いでしょう。

ひと昔前は、夜になると不良少年や青年が集まっていたと言う情報もあるようです。
体験談・噂話

地元で語られる怪談話(人間の鎖)
あるとき、若者グループが肝試し目的で、キリシタン殉教記念公園を訪問したそうです。
グループのメンバーは、所謂、不良と呼ばれる種類の人達でした。
大分県でも、最恐クラスと噂されていた『キリシタン殉教記念公園』で起きる心霊現象に期待してたメンバーですが、当然のように不可思議な現象は起きませんでした。
それに腹を立てた、メンバーの一人が公園内にある記念碑や墓石を荒らし始めたのです。
結局、その日は何も起こらず、彼らは帰宅することになりました。
しかし、翌日から公園内を荒らした青年に異変が起き始めたのです。
原因不明の発熱にはじまり、足首が誰かに掴まれているかのように、痛みと重さを感じるようになったのです。
足首に感じる重量感と痛みは、日が経つにつれて酷くなり、青年は部屋から出ることも出来なくなってしまいました。
はじめは、風邪か何かだと考えていた青年の両親も、流石に異常事態であることを理解して事情を聴き出しました。
そして、キリシタン殉教記念公園での問題行動を把握した両親は、青年を霊媒師に視てもらう事にしました。
苦しみ抵抗する青年をやっとの思いで車に乗せて、霊媒師のもとに辿り着いたのですが、霊媒師は青年の姿を確認すると、途端に青ざめ恐怖から顔を歪めてこう言ったのです。
「私では、どうすることも出来ません。・・・多分、彼を救うことは誰にも出来ないでしょう。」
困り果てた両親が、どういう事なのか聞くと霊媒師は答えます。
「彼の足首を、霊が掴んでいます。そして、その霊の足を他の霊が掴み、それが彼の後ろにずっと続いています。」「話を聞く限りでは、恐らく、キリシタン殉教記念公園まで繋がっていると思われます。まるで、人間で出来た鎖のように・・・。」

この話は、管理人が大分県に住んでいた友人に聞いた、キリシタン殉教記念公園に関する怪談話です。
まとめ
今回の記事では、大分県の心霊スポット『キリシタン殉教記念公園』を紹介しました。
大分県の葛木では、過去に悲しい悲劇が起こり、結果として多くの人が命を落とすことになりました。
この時の犠牲者を弔うために整備されたのが『キリシタン殉教記念公園』です。
心霊スポットとして知られる『キリシタン殉教記念公園』ですが、その実態は悲しい歴史を象徴した施設だと言えます。
今回は心霊スポットして紹介しましたが、肝試し目的ではなく、歴史探求を目的として『キリシタン殉教記念公園』を訪問してみてはいかがでしょうか。

あくまでも墓地であることを忘れずに、礼節を欠くような行動は控えましょう。