船岡山(ふなおかやま)は、京都市北区紫野北舟岡町に位置する標高約111.7メートルの小高い丘で、その形状が船を伏せたように見えることから「船岡」という名前が付けられました。
この山は、歴史的な背景と豊かな自然環境を持つ一方で、心霊スポットとしても知られており、多くの人々の興味を引いています。
本記事では、京都府の心霊スポットである船岡山について詳しく紹介します。
京都の心霊スポット『船岡山』とは



船岡山(ふなおかやま)は、『山』と名前がついていますが、実際には標高約111.7メートルの小高い丘です。
その形状が船を伏せたように見えることから「船岡」と名付けられました。
平安時代には、平安京の中軸線である朱雀大路の真北に位置し、都の北方を護る霊獣「玄武」の山として崇められていました。
清少納言が『枕草子』で「岡は船岡」と称賛するなど、貴族の遊宴の地としても親しまれていました。
戦国時代には応仁の乱において、西軍の山名宗全が陣を構えた地であり、この地域が「西陣」と呼ばれるきっかけにもなりました。
また、本能寺の変後には豊臣秀吉によって織田信長の霊地と定められ、明治時代には信長を祀る建勲神社が創建されました。
現在の船岡山は、建勲神社の境内や船岡山公園として整備され、京都市内を一望できる絶景スポットとして市民や観光客に親しまれています。
地質的には丹波層群のチャートで構成されており、自然や歴史の両面から見ても興味深い場所です。
船岡山は、歴史的・文化的価値と自然の豊かさを兼ね備えた魅力的なスポットといえるでしょう。
・平安時代の船岡山
平安京の北端に位置する船岡山は、都の北方を守護すると信じられていた霊獣「玄武」の象徴とされていました。
平安京の設計では、山や川の地形を陰陽五行説に基づいて取り入れており、船岡山は都を守る風水的な要所として配置されたのです。
また、清少納言が『枕草子』で「岡は船岡」と称賛するなど、当時の貴族たちにとって景勝地としても愛されました。
この丘からは、平安京を一望できる絶好の眺望が広がり、貴族の遊宴の場としても利用されていました。
・戦国時代の軍事拠点
戦国時代に入ると、船岡山は軍事的な価値を持つことになります。
応仁の乱(1467年~1477年)の際には、西軍の総大将である山名宗全がこの山を拠点に陣を構えました。
応仁の乱は京都を戦火に包み込む大規模な内乱であり、その激しい争乱が船岡山を含む周辺地域に多大な影響を与えました。
この頃から、船岡山は歴史の表舞台に立つ場所としてその存在感を高めることになります。
なお、この戦乱が「西陣」という地名の由来となったことも興味深いポイントだと言えるでしょう。
・信仰の対象としての船岡山
戦国時代の終わり、本能寺の変(1582年)後、織田信長を追悼するために豊臣秀吉によって船岡山が霊地として指定されました。
信長の死を悼む人々にとって、この山は特別な意味を持つ場所となり、後に明治時代には建勲神社が創建されました。
現在でも信長を祀るこの神社は、多くの参拝者を集めています。
・現代の船岡山
現在、船岡山は建勲神社の境内や船岡山公園として整備され、観光客や地元の人々の憩いの場となっています。
春には桜、秋には紅葉といった自然の美しさを楽しむことができ、山頂からは京都市街を一望できる素晴らしい景色が広がります。
また、五山の送り火の「船形」を見るスポットとしても人気が高く、毎年多くの人々が集まります。
『船岡山』で起こる心霊現象

船岡山は、歴史的背景と自然が調和した魅力あふれる場所で、現代までさまざまな形で人々の暮らしや信仰と深く関わってきました。
その長い歴史の中には、都を守る象徴や戦乱の舞台といった多面的な姿が刻まれています。
そのためなのか、恐ろしい心霊現象が語られることがあるのです。
幽霊の目撃情報がある
船岡山では、幽霊が目撃されたという話があります。目撃される幽霊の姿はさまざまで、男性、少女、老爺などが現れるとされています。
男性の幽霊は、戦国時代の武士のような姿をしており、無言で山道を歩く姿が目撃されているようです。
少女の幽霊は白い服を着ており、泣きながら山頂付近をさまようという目撃談があります。
また、老爺の幽霊は特定の祠や木のそばで現れることが多いとされ、地元では「山の守り神」として恐れられているそうです。
謎の足音が聞こえる
船岡山を訪問した人の中には、背後から誰かの足音が聞こえたと語る人もいます。
足音は、夜間や雨天時など人気(ひとけ)のない場所で聞こえることが多いそうです。
その音は、人間が歩く音に似ており、訪問者の後を一定の距離を保ちながらついてくるように感じると言います。
恐ろしくなって振り返っても、そこには誰もいないと言われています。
生暖かい風と呼吸音
船岡山では、背後から生暖かい風を感じたり、明らかに人の気配を伴う呼吸音を耳にしたという体験談もあるようです。
この現象は、静かな夜間や山深い場所で特に起こると言われています。
生暖かい風は、まるで誰かが耳元で息を吹きかけてくるかのように感じられ、非常に不快だそうです。
ウワサされる心霊現象
- 幽霊の目撃情報がある。
- 謎の足音が聞こえる。
- 生暖かい風と呼吸音を感じることがある。
『船岡山』の場所
住所 | 京都市北区紫野北舟岡町42 |
最寄り駅 | 地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」 |
アクセス | 地下鉄烏丸線「鞍馬口駅」から約1.6kmの距離にあります。 |
備考 | 公園内に専用駐車場はありません。 |

私有地に無断で立ち入ると罪に問われます。絶対にやめましょう。
『船岡山』で過去に起きた事件・事故

応仁の乱
応仁の乱(1467年~1477年)は、日本全土を巻き込んだ大規模な内乱で、船岡山はその重要な舞台の一つとなりました。
西軍の総大将であった山名宗全は、この山を拠点として陣を構えたのです。
船岡山は周囲を見渡せる高台という地形的な利点を持ち、戦略的に重要な位置にありました。
この時期、京都市街地全体が戦火に包まれ、多くの人々が命を落としたと言われています。
広田事件
1984年9月4日、船岡山公園内で京都府警の警察官が刺殺されるという衝撃的な事件が発生しました。
事件の犯人は、『廣田雅晴(当時41歳)』という元警察官の男でした。
廣田は、1978年に警察署から盗んだ拳銃で強盗傷人事件を起こし、懲戒免職・懲役7年の刑を受けていました。
1984年8月30日に仮出所すると、9月4日に京都市北区の船岡山公園で警察官を刺殺して拳銃を強奪しました。
その後、奪った拳銃を使い、大阪市の消費者金融を襲撃し、従業員を射殺して60万円を奪取したのです。
これらの事件は警察庁の広域重要事件115号に指定されました。
廣田は無実を主張していましたが、1998年に死刑が確定しました。
自殺の名所
船岡山は、自殺の名所として知られています。
特に首吊り自殺の現場として有名で、木々が鬱蒼と茂る静寂な環境が、そのような行為を誘発しやすい環境なのだと考えられています。
訪問者の中には、木の枝にロープが結びつけられている跡や、首を吊っている遺体を目撃したという話もあるようです。
『船岡山』心霊スポット化の理由を考察

船岡山が心霊スポットとして有名になった背景には、歴史的な出来事や悲劇的な事件が関係しているのは間違いないでしょう。
応仁の乱では、船岡山が戦の舞台になりました。その結果、多くの武士や一般市民が命を落としたと言われています。
もともと、戦場となった場所は心霊スポットになりやすい傾向があります。
さらに、殺人事件や自殺が起きると、その土地は、多くの人の記憶に残り不吉な印象が強く残ることになるのです。
特に、警察官が公務中に命を落とし、拳銃を奪われるという事件は非常に衝撃的で、多くの人々の記憶に刻まれやすいと言えます。
こうした背景を知った上で興味本位で訪れる者も多く、その結果、新たな噂が広まるという循環が生まれているのです。
これらの要因が複雑に絡み合うことで、船岡山は心霊スポット化していったのだと考えられます。
『船岡山』訪問時の注意点
船岡山は公園として整備されていますが、夜になると視界が悪くなります。また、人気(ひとけ)がなくなるため、怪我や事故の際に救助が遅れる可能性があります。
このため、現地の訪問は昼の明るい時間にしたほうが良いでしょう。
また、訪問時は公園として整備されているため、他の訪問者や近隣住民への配慮を忘れず、マナーを守って行動してください。
万が一心霊現象に遭遇した場合でもパニックを起こさず、冷静に対処することを心がけましょう。
まとめ
本記事では京都の心霊スポット『船岡山』の情報を紹介しました。
船岡山は、平安時代から続く歴史的背景と豊かな自然環境を持ちながら、戦乱や悲劇的な事件、自殺の名所として知られています。
そのため、単なる観光地や憩いの場としてだけではなく、不思議な雰囲気や恐怖感を感じる場所として、多くの人々を惹きつけます。
訪問の際には、この地が持つ歴史や文化、そしてそこで命を落とした人々への敬意を忘れずに、慎重な行動を心掛けることが大切です。
特に、夜間の訪問は安全面のリスクが高く、視界が悪いため避けたほうが良いでしょう。
また、公園として整備されていることから、他の利用者や近隣住民への配慮として、ゴミを捨てない、騒音を控えるなど、基本的なマナーを守ることが求められます。
訪問する場合は、責任と尊敬の念を持って接することが、この場所との適切な向き合い方と言えます。