愛媛県西条市に位置する西条藩処刑場跡は、歴史的背景と共に心霊スポットとしても知られています。
江戸時代に多くの人々が命を落としたこの場所には、現在も多くの心霊現象の噂が絶えません。
本記事では、西条藩処刑場跡の歴史や心霊現象を紹介していきます。
愛媛県の心霊スポット『西条藩処刑場跡』とは

西条藩処刑場跡は、愛媛県西条市大町に位置し、江戸時代に西条藩の公式な処刑場として機能していました。
現在の西条市立図書館の敷地内にあたり、当時は罪人の処刑が行われ、近くを流れる川で処刑後の処理が行われていたと伝えられています。
西条図書館の北にはひっそりと慰霊碑が、図書館と川を挟んで西側には墓地がたっています。
この西条藩処刑場では、宝暦4年(1754年)11月21日、農民一揆の首謀者とされた三名がこの地で処刑された記録があります。
また、西条市の東中学校区内にも、藩政時代の処刑場であったと伝えられる場所がありますが、詳細な記録は残っておらず、その起源は不明とされています。
これらの処刑場跡は、現在では特に目立った遺構は残っていないものの、地域の歴史を物語る場所として認識されています。
さらに、愛媛県内には他にも複数の処刑場跡が存在しており、宇和島市吉田町の「吉田藩処刑場跡」や、松山市の「衣山処刑場跡」などが特に有名です。
『西条藩処刑場跡』で起こる心霊現象

老人の幽霊の目撃談
西条藩処刑場跡では、老人の幽霊が目撃されるという噂があります。
この老人は、無言で地面を見つめて立っているらしく、視線が合うとすっと消えてしまうそうです。
夜に限らず、昼間でも姿を現すことがあると言われています。
足音や謎の物音
西条藩処刑場跡で動画を撮影すると、撮影時にはなかった物音や囁き声のようなものが記録されていることがあるそうです。
また、夜間に訪問すると訪問者の後を付けてくるような足音が聞こえてくることもあると言われています。
ウワサされる心霊現象
- 老人の幽霊の目撃談がある。
- 謎の足音や物音が聞こえてくる、動画に記録される。

心霊現象の噂自体は少ないようです。
『西条藩処刑場跡』の場所

私有地に無断で立ち入ると罪に問われます。絶対にやめましょう。
『西条藩処刑場跡』で過去に起きた事件・事故
西条藩の処刑制度と背景
江戸時代、西条藩では罪人に対する刑罰として、斬首や磔(はりつけ)などが執行されていたといわれています。
処刑場は藩の統治を示す場であり、見せしめの役割も果たしていたそうです。
この地で処刑されたのは、罪人だけでなく、時には冤罪の犠牲者や政治的理由で処刑された者もいたとされています。
特に農民一揆の首謀者や重罪を犯した者が公開処刑され、多くの人々が目撃することで、藩の権威を示す場でもありました。
宝暦の一揆と農民の処刑
宝暦年間(1751年~1764年)、西条藩内では重税に苦しむ農民たちが反乱を起こした記録があります。
一揆の首謀者とされた数名が捕らえられ、この処刑場で斬首刑に処されました。
当時、一揆の背景には藩の財政難と過酷な年貢取り立てがあり、処刑された農民たちは「正義のために立ち上がった英雄」と見なされました。
その話は、現在でもその無念が語り継がれています。
処刑後の遺体処理と供養の問題
処刑された罪人の遺体は、近くを流れる加茂川に流されたり、簡易的に埋葬されることが一般的だったとされています。
一部の記録では、供養や祈祷が行われなかったケースも多く、そのため死者の怨念が残ったとされます。
また、遺族が引き取りを拒否した遺体は放置されることもあり、その悲惨さが現在の心霊現象と結びつけられる理由とされています。
処刑場跡に伝わる「梛木(なぎのき)」の伝説
西条藩処刑場跡は「梛木(なぎのき)」という場所としても知られています。
伝承では、この木は罪人が処刑される際に縛り付けられた木であったと言われています。
この木が枯れることなく育ち続けたことから、処刑された者たちの怨念が宿っているという噂が広まりました。
現在では木は残されていないものの、その場所には特有の空気感が漂うとされ、訪問者たちの間で語り草になっているようです。
明治以降の処刑場跡地の変遷
明治維新後、処刑場としての機能は廃止されましたが、跡地は特に大きな再利用がなされないまま放置されていました。
その後、土地の再開発が進む中で、西条市立図書館などの公共施設が建設されましたが、一部では土地の再利用に関する不安や噂が残り続けることになります。
特に、建設工事中に重機が故障したり、工事関係者が体調不良を訴えるといった出来事も噂され、心霊的な話題を呼んだとされています。
『西条藩処刑場跡』心霊スポット化の理由を考察

西条藩処刑場跡が心霊スポットとして語られる最大の理由は、処刑場というその性質にあることは間違いないでしょう。
江戸時代、多くの罪人がここで処刑され、その多くが無念や怨念を抱えたまま命を絶ったと考えられています。
当時の処刑は公開の場で行われ、罪人が最後の瞬間を迎える様子が大勢の目の前で展開されました。
このような「見せしめ」の場としての役割が、処刑そのものの残虐性を際立たせ、今なお人々に強い印象を残しています。
処刑された罪人の中には、冤罪や政治的な陰謀の犠牲者もいたとされ、その無念は土地だけでなく、多くの人達の記憶に深く刻まれていることでしょう。
さらに、処刑された人たちが、十分な供養を受けることができなかったと言われていることも心霊スポット化の要因だと言えます。
処刑後の遺体は、近くを流れる加茂川に遺体が流されたり、埋葬が簡易的に行われるケースが多かったそうです。
そのため、罪人の霊が未だに成仏できず、この地に留まっているという考え方が根付いているようです。
特に、日本人は、死者の弔い方に強い信仰のようなものを持っています。
このような歴史や伝承、死者に対する考え方が西条藩処刑場跡を心霊スポットにしていったのだと考えられるのです。
『西条藩処刑場跡』訪問時の注意点
西条藩処刑場跡を訪問する際は、時間とマナーに対する配慮が欠かせません。
西条藩処刑場跡は、現在では図書館として機能しています。
そのため、昼夜を問わず大人数で訪問して大声で騒いだり、無許可で動画の撮影をすると非常に迷惑になります。
もし、西条藩処刑場跡を訪問するのであれば、近隣の住人や図書館利用者、職員の迷惑にならないように行動してください。
まとめ
本記事では、愛媛県の心霊スポット『西条藩処刑場跡』の情報を紹介しました。
西条藩処刑場跡は、歴史的な背景と共に心霊スポットとしての側面を持つ場所です。
過去の出来事や人々の思いがこの地に刻まれており、その影響から心霊現象の噂が広まったと考えられます。
訪問の際は、歴史を尊重し、マナーを守ることが求められます。
訪問時は、近隣住民の迷惑にならないように行動するように心掛けてください。