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菅原道真公所縁の神社に怪現象の噂が!福岡県『太宰府天満宮』

福岡県太宰府市に鎮座する太宰府天満宮は、学問の神様として知られる菅原道真公を祀る神社として、全国から多くの参拝者が訪れます。

しかし、その華やかな表舞台の裏で、一部の人の間では、知られざる心霊スポットとしての一面が存在するのをご存知でしょうか。

本記事では、福岡県太宰府市の『太宰府天満宮』の情報を紹介します。

福岡県の心霊スポット『太宰府天満宮』とは

太宰府天満宮の鳥居の写真
太宰府天満宮の橋が写っている風景の写真

『太宰府天満宮(だざいふてんまんぐう)』は、福岡県太宰府市に位置する神社です。

学問の神様として知られる菅原道真公を祀る神社であり、その歴史や建築には深い由来と特色があります。

太宰府天満宮は、歴史的・文化的な価値が高く、多くの伝説や見どころが詰まった神社なので、訪問の際には、これらの背景を踏まえて参拝すると、より深い理解と感動を得られるでしょう。

歴史と由来

菅原道真公は平安時代の学者・政治家で、宇多天皇や醍醐天皇の下で右大臣にまで昇進しました。

しかし、政敵の陰謀により大宰府(現在の福岡県太宰府市)に左遷され、903年にこの地で亡くなりました。

その後、道真公の死後に京都で天変地異や疫病が相次いだため、これを道真公の祟りと恐れた朝廷は、彼の霊を慰めるために神として祀ることを決定しました。

919年、道真公の墓所の上に社殿が建立され、これが太宰府天満宮の起源とされています。

建築と構造

太宰府天満宮の本殿周辺の写真

本殿

現在の本殿は1591年に再建されたもので、桃山時代の華麗な建築様式を伝えています。

正面五間(約9メートル)の規模を持ち、屋根は檜皮葺(ひわだぶき)と呼ばれるヒノキの皮を用いた伝統的な手法で葺かれています。

また、正面には唐破風(からはふ)造の向拝(こうはい)があり、梅の花の彫刻が施されています。

仮殿

2023年5月から、本殿の124年ぶりとなる大改修が始まり、その期間中の参拝の場として建築家・藤本壮介氏が設計した仮殿が設置されています。

この仮殿は、屋根に梅などの植物を植え、周囲の自然と調和するデザインが特徴です。

また、バリアフリーを考慮し、靴を脱がずに参拝できる構造となっています。

言い伝えと伝説

太宰府天満宮には「飛梅伝説」が伝わっています。

道真公が左遷される際、京都の自宅にあった梅の木を非常に愛していました。

彼が太宰府に移った後、その梅の木が道真公を慕って一夜にして太宰府まで飛んできたとされています。

現在、本殿の右側に立つ「飛梅」は、その伝説の梅として知られています。

境内の見どころ

  • 心字池と太鼓橋: 境内には「心」という字をかたどった心字池があり、その上に3つの太鼓橋が架かっています。これらは過去・現在・未来を表し、参拝者はこれらを渡ることで心身を清めるとされています。
  • 御神牛: 境内の各所に牛の像が配置されています。これは、道真公が生まれ年が丑年であったことや、亡くなった際に牛車が動かなくなった場所に葬られたという伝承に由来します。これらの像の頭を撫でると知恵を授かるとされています。
  • 宝物殿: 太宰府天満宮の宝物殿には、平安時代から江戸時代にかけての貴重な文書や工芸品が収蔵・展示されています。

周辺の見どころ

  • スターバックスコーヒー 太宰府天満宮表参道店: 参道には、建築家・隈研吾氏が設計した独特のデザインのスターバックスがあります。伝統と現代性が融合した木組みのデザインが特徴的で、多くの観光客が訪れます。
  • 梅ヶ枝餅: 参道沿いには、名物の梅ヶ枝餅を販売する店舗が多数あります。梅ヶ枝餅は、道真公が好んだとされる餅で、参拝の際にはぜひ味わってみてください。

太宰府天満宮おすすめ動画

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『太宰府天満宮』で起こる心霊現象

境内での足音や囁き声

太宰府天満宮では、夜間や人の少ない時間帯に、誰もいないはずの場所で足音や囁き声が聞こえるという噂が報告されています。

この現象は、参道や本殿の周辺で起こることが多く、「背後から誰かがついてくるような気配を感じた」と語る人もいます。

社殿の周りでは、木々がざわめく中で「聞き取れない言葉で話す声」を耳にしたという報告もあるようです。

また、深夜に訪問した参拝者が、静まり返った境内で「足音が近づいてくるのに、振り返ると誰もいなかった」という体験をしたケースもあります。

突然の寒気

太宰府天満宮では、特定の場所で急に気温が下がったように感じることがあると言われています。

真夏でも本殿周辺や「飛梅」の近くで、急に冷たい風が吹きつけるような感覚を覚える人が多いようです。

場所によっては「まるで冷たい手で首筋を撫でられるような感覚」を覚えたという人もいます。

また、寒気だけでなく、急に鳥肌が立ったり、息苦しさを感じたりすることもあるそうです。

本殿近くで参拝をしていた際に、後ろから冷たい風が吹いたように感じて振り返ったが、そこには何もなかったという証言もあります。

白い影の目撃情報

本殿付近やその周辺では、「白い影」を目撃したという報告が存在します。

この影はぼんやりとした人影のような形をしており、時には社殿の前を横切るように動くのが見えたと話す人もいます。

夜間の目撃報告が多く、明確な人影ではなく、霧のように揺らめく白い姿だったという証言が多いのが特徴です。

夜に本殿の写真を撮影した際には見えなかったのに、写真を確認すると白いモヤのようなものが写り込んでいたという話もあります。

また、社務所の近くで白い影が一瞬見えたが、次の瞬間には消えていたと語る人もいるようです。

他にも、境内付近で子どもの幽霊を目撃したり、子どもの声を聞いたという話もあると言われています。

心霊写真が撮影される

太宰府天満宮で撮影された写真には、時折、説明のつかないものが写り込むことがあると言われています。

例えば、本殿や境内を撮った際に、白いモヤや不自然な光の筋が映っていたり、顔のようなものが映り込んでいたという噂があるようです。

夜間に撮影した写真にこの現象が起こることが多く、「撮った時には気づかなかったが、写真には異様なものが写っていた」という人もいます。

また、写真に手のような影が映り込んでいたというケースもあるようです。

「飛梅」にまつわる現象

「飛梅」は、道真公を慕って京都から飛んできたとされる伝説の梅の木で、この木の周辺でも奇妙な現象が起きるそうです。

夜になると、梅の木の周囲に光の玉のようなものが浮かんでいるように見えたという噂や「飛梅」に手をかざした際に、ピリピリとした感覚を感じたという話もあります。

さらに、飛梅の下で写真を撮ると、奇妙な光の筋が映り込むことがあるとも言われています。

神牛像に関する体験

境内には道真公に縁のある神牛像がいくつかあり、この牛の頭を撫でるとご利益があるとされています。

しかし、一部ではこの神牛像に触れた際に、異様な寒気を感じたり、頭の中に言葉が響いてきたと言う話もあるようです。

また、夜の境内で神牛像の前を通った際に、牛の目が光ったように見えたという話もあり、一部では「神牛には道真公の魂の一部が宿っているのではないか」と考えられています。

さらに、神牛像のそばで写真を撮ると、奇妙な影が映り込むことがあるという話もあるようです。

太鼓橋に関する逸話

太宰府天満宮の参道には三連の太鼓橋が架かっているのですが、この橋を「カップルが一緒に渡ると破局する」という噂が囁かれています。

この橋は過去・現在・未来を表していますが、恋人同士で一緒に橋を渡ると「過去に縛られる」という意味になり、別れにつながるそうです。

ウワサされる心霊現象

  • 境内での足音や囁き声が聞こえる。
  • 突然の寒気。
  • 白い影の目撃情報がある。
  • 心霊写真が撮影される。
  • 「飛梅」にまつわる心霊現象の噂がある。
  • 神牛像に関する恐怖体験がある。
  • 太鼓橋をカップルで渡ると恋人と別れる。

『太宰府天満宮』の場所

住所福岡県太宰府市宰府4丁目7番1号
最寄り駅西鉄太宰府線「太宰府駅」
アクセス「太宰府駅」から徒歩約5分
備考初詣や受験シーズン(1月〜3月)は特に混雑

私有地に無断で立ち入ると罪に問われます。絶対にやめましょう。

『太宰府天満宮』で過去に起きた事件・事故

太宰府天満宮は、学問の神として知られる菅原道真公を祀る神社であり、その歴史には数々の伝承や出来事が刻まれています。

道真公は901年に、左大臣藤原時平たちの陰謀で、冤罪を掛けられて京の都を追われ大宰府に左遷されました。

左遷後の道真公は、朝廷から冷遇され、政庁の公的な施設を使うことができなかったそうです。

そのため、周囲の人々からの援助を受けながら、質素な生活を送りながら自らの潔白を訴えていました。

しかし、生きている間に冤罪はとけず903年に死去してしまいます。結局、道真公の無実が証明されたのは、死後しばらくしてからの事でした。

道真公の死後、京都では天変地異や政変が相次ぎます。これらは道真公の怨霊の仕業と恐れられたそうです。

そのため、道真公の霊を鎮めるために北野天満宮や太宰府天満宮が建立されたと伝えられています。

このように、太宰府天満宮は道真公にまつわる数々の伝承や歴史的出来事を背景に、現在も多くの人々の信仰を集めています。

ポイント

道真公の死後、彼の遺体を牛車で運んでいた際、牛がある場所で突然動かなくなりました。

人々はこれを道真公の意思と受け取り、その地に彼を埋葬し、後にその上に社殿が建てられました。

これが現在の太宰府天満宮の起源とされています。

『太宰府天満宮』心霊スポット化の理由を考察

太宰府天満宮が心霊スポットとされる理由には、菅原道真公の生涯と、死後に起きた天変地異が関係しているのは間違いないでしょう。

道真公は、優れた学者であり政治家でしたが、藤原氏の陰謀により無実の罪を着せられ、京の都から遠く離れた太宰府へ左遷されました。

慣れない地での生活と心労の末、彼はわずか59歳で生涯を閉じることになります。

その死に際して道真公がどのような想いを抱いていたのかは分かりませんが、政治の中枢から追放され、望郷の念を抱えながら亡くなったことを考えると、その無念は計り知れないものであったでしょう。

そして、道真公の死後、都では不吉な出来事が相次ぎました。

藤原時平の急死、清涼殿への落雷、皇族や貴族たちの不審な死が続き、それらは道真公の怨霊によるものと恐れられるようになりました。

朝廷はその怒りを鎮めるために、彼を天満大自在天神として神格化し、各地に天満宮を建立しました。

その中でも、道真公が最期を迎えた地である太宰府天満宮は特別な意味を持ちます。

これは単なる神格化のための措置ではなく、怨霊を慰め、これ以上の祟りを防ぐための鎮魂の意味合いもあったとされています。

また、太宰府天満宮の周囲には、かつて戦乱や処刑が行われた場所が点在しており、歴史的にも波乱に満ちた地であったことが伺えます。

こうした地理的背景も、心霊スポットとしての噂を後押ししている要因のひとつと考えられます。

このように、道真公の怨霊伝説と土地が持つ歴史的背景が複雑に絡み合い、太宰府天満宮は心霊スポットとして認識されるようになっていったのでしょう。

『太宰府天満宮』訪問時の注意点

太宰府天満宮は、全国的にも有名な神社で、多くの参拝者や観光客が訪れる場所です。

そのため、心霊スポットとしての興味本位だけで訪れることは控えるべきでしょう。

特に、夜間の立ち入りは原則として禁止されており、無断で境内に入ることはマナー違反となるだけでなく、危険を伴う可能性もあります。

暗闇の中では足元が見えにくく、段差での転倒のリスクがあるだけでなく、法的な問題に発展する可能性があるので絶対に避けましょう。

また、太宰府天満宮は歴史的な価値を有している場所で、長い年月を経て多くの人々の信仰が積み重ねられてきました。

そのため、訪問時には敬意を持ち、騒いだり、不適切な言動を取ることのないよう注意が必要です。

太宰府天満宮の敷地内には多くの歴史的建造物や文化財が点在しており、これらは後世に残すべき貴重なものです。

建物や石碑に触れたり、落書きをするなどの行為は絶対にやめましょう。

まとめ

本記事では、福岡県で心霊スポットと噂される『太宰府天満宮』の情報を紹介しました。

太宰府天満宮は、学問の神として広く知られ、年間を通じて多くの参拝者が訪れる名高い神社です。

しかし、その裏では、菅原道真公の無念や怨念と結びついた数々の伝承が存在します。

道真公は、藤原氏の陰謀により無実の罪で左遷され、この地で非業の死を遂げました。

その後、彼の死を悼む人々によって祀られることとなりましたが、京都では落雷や天変地異が相次ぎ、これを道真公の怨霊の仕業と恐れる声もあがりました。

そうした歴史的背景が、太宰府天満宮にまつわる心霊現象の噂を後押しする要因となっています。

また、実際に境内で奇妙な体験をしたという話も後を絶ちません。

夜間や人の少ない時間帯に、誰もいないはずの場所で足音や囁き声が聞こえたり、突如として寒気を感じるなどの体験が報告されています。

本殿の近くでは白い影を目撃したという証言もあり、訪れる人々の間で「道真公の霊が今もそこにいるのではないか」と囁かれることも少なくありません。

しかし、太宰府天満宮を訪問する際は、心霊スポットとしての興味本位だけではなく、歴史や人々の想いに敬意を払い、慎重な気持ちで足を運びましょう。

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