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東京都北区の「神谷公園」心霊スポットの噂は過去のものか?

東京都北区の住宅街にひっそりと佇んでいた「神谷公園」

古びたブランコや錆びかけた滑り台は、夜風に揺れるたびに不気味な軋みを響かせ、昼間の明るさが嘘のように重苦しい静寂が広がっていたそうです。

周囲を取り囲む木々は闇の中で黒々と立ち並び、外灯の淡い光さえも飲み込むように公園を覆い隠し、その雰囲気から、近隣住民の間では「夜の神谷公園には入ってはいけない」という噂が囁かれていました。

夜中にこの公園を訪れた人々の中には、誰もいないはずのブランコが揺れていた、人影のようなものを見たと話す者もいるそうです。

昼と夜で全く異なる顔を見せていた神谷公園…。この公園にはどのような曰くがあるのでしょうか?

本記事では、東京都の心霊スポットと呼ばれていた「神谷公園」の情報をお伝えします。

※2025年9月現在「北区立神谷公園」は再開発のため閉園、更地になっています。

東京都の心霊スポット『北区立神谷公園』とは

「神谷公園(北区立神谷公園)」は、東京都北区神谷に位置する小規模な都市公園でした。

神谷公園には、第二次世界大戦末期の東京大空襲にまつわる歴史が残されています。

1945年(昭和20年)の空襲では北区一帯が大きな被害を受け、多くの住民が犠牲となりました。

その際、この地は犠牲者の仮埋葬地として使用され、後に改葬が行われています。

戦後は地域の再整備により公園として整えられ、園内には犠牲者を慰霊する石碑が設置され、戦争の記憶を今に伝え続けています。

近年では、遊具や設備の老朽化が進んだことや地域構造の変化に伴い、公園は閉鎖されました。

現在は跡地で「都の北学園(仮称)」という小中一貫校の建設が進められており、令和8年度に開校予定とされています。

これに合わせて、新たな神谷公園の再整備も計画されています。

構想では、地域防災機能を備えた広場や、多目的に利用できるスペースが設置される予定です。

具体的には、防災用のかまどベンチ、パーゴラ、バリアフリー対応のトイレ、幼児向けのインクルーシブ遊具などが導入され、災害時にも役立つ施設として整備される見込みです。

神谷公園は、かつては地域住民の身近な遊び場でありながら、戦災の悲しい歴史を背負った土地でもあります。

現在は閉鎖中ですが、数年後には教育施設とともに再び地域に開かれた公園として生まれ変わる予定です。

新しい神谷公園は、防災機能を持ちながら子どもから高齢者まで安心して利用できる場として、地域の生活を支える重要な拠点となるでしょう。

『北区立神谷公園』で起こる心霊現象

勝手に揺れるブランコの噂

北区立神谷公園では、風ひとつ吹いていない夜にもかかわらず、古びたブランコが軋む音を立てながら、ひとりでに揺れ動く様子が目撃されていたといいます。

その場に子供や大人の姿はなく、誰かが手で動かしているわけではありません。

にもかかわらず、鉄の鎖がきしむ高い音が闇に響き渡り、まるで誰かがそこに座って遊んでいるかのような気配を漂わせるそうです。

女性の幽霊が目撃される

北区立神谷公園のベンチ付近では、白い服をまとった女性の幽霊が目撃されていたそうです。

女性はただ静かに佇んでいるだけで、何をするでもないようです。その姿は、闇に浮かぶ異常な影として目撃者の目に映ると囁かれています。

そして、振り返ると、そこにいたはずの女性の姿は跡形もなく消え去っているのだとか…。

子どもの声が聞こえてくる

夜の北区立神谷公園では、誰もいないはずなのに「キャッキャッ」という笑い声や遊具のきしむ音が聞こえてくるという噂があったそうです。

ウワサされる心霊現象

  • 風もないのにブランコが勝手に揺れる。
  • 女性の幽霊が現れる
  • 子どもの声が聞こえてくる。

『北区立神谷公園』の場所

住所〒115-0043 東京都北区神谷2丁目46-13
最寄り駅JR京浜東北線「東十条駅」
アクセスJR京浜東北線「東十条駅」から徒歩約10分
国道122号線(北本通り)から少し入った住宅地の一角
備考公園自体は誰でも入ることが可能ですが、街灯が少なく非常に暗いため注意が必要です。

『北区立神谷公園』で過去に起きた事件・事故

神谷公園は、かつて軍事施設が集まっていたことから、戦時中には空襲の攻撃目標となってしまいました。

この空襲は繰り返し行われ、多くの犠牲者が出たと伝えられています。

さらに、神谷公園周辺では奇妙な自殺や、高齢者・幼児の事故死などが相次いで発生し、事件として記録に残されているものもあります。

ここでは、公園の歴史や周辺で起きた出来事について触れていきたいと思います。

空襲による犠牲者が多数いる

神谷公園は、1887年(明治20年)に丸の内に駐留していた工兵大隊が赤羽台(旧・王子区)へ移転したことにより、多くの軍事施設が建設されました。

1930年頃(昭和5年)になると、北区域は重化学工業を中心とする工業地帯へと成長し、そのため北区は「軍都」と呼ばれるようになりました。

軍都と呼ばれるほどに発展した工業地帯は、太平洋戦争末期には空襲の標的となり、甚大な被害を受けることとなります。

総務省の「北区における戦災の状況(東京都)」によると、計12回の空襲があり、500人を超える死者が出たとされています。

当時、亡くなった人々の遺体は神谷公園に集められ、仮埋葬されました。

その後、この地には犠牲者を慰霊するための記念碑が建てられ、「大東亜戦争犠牲者慰霊記念碑」と銘打たれています。

神谷公園連続変死事件

神谷公園の周辺では、過去に「死」を伴う不可解な事故や自殺が多発したといわれています。

とくに「連続変死事件」と呼ばれる出来事が発生したのは、公園の東入り口に通じる約50メートルの路地に面した10軒の家でした。

この事件では、老若男女を問わず、病気や事故によって命を落とす人が相次ぎ、その数は30人を超えると伝えられています。

あまりの異常さから、この町内は「死神にとり憑かれた町」とまで呼ばれるようになったといいます。

ある人から、依頼の電話が鳴った。

「山口先生、家族が今の家に引っ越してから、次々と病気になってるんです。この事件の謎を解いてくれませんか」

それは奇妙な依頼であった。ただし、私は探偵でも、霊能者でもない。だが、親しくしている方の紹介であるため、仕方なく訪問することにしたのだ。

その家は、都内北区の某所にあった。

「なるほどね、この家に来てからですか、何か場所にさわりがあるのかもしれませんね」
「実は、ある公園から石を拾ってきたのです」

家人の話によると、庭の池に敷くための石を何個か、ある公園から拾ってきていたのだ。

「いけませんよ。石とはいえ公園のものを持っていっては」
「はぁ、神谷公園なんですが」

私はその公園名を聞いて呆然とした。あの公園は、いわくつきの場所であったのだ。

実は、昭和49年3月から昭和50年5月にかけて 東京北区神谷2丁目30番から32番にかけての小さなエリアで連続して、死亡者が続出した事件があった。

これが、有名な“神谷公園連続変死事件”である。

その連続死亡事件の発生現場は、神谷公園の東入り口に通じる50mの路地に面した10軒の町内での事である。

1人目T家83歳の老婆が老衰3/17に死亡。
2人目T家の左隣のSさん91歳が老衰4/3に死亡。
3人目一軒おいてT家の右隣のWさん32歳が交通事故7/4に死亡。
4人目今度はW家の更に右隣Y家の息子30歳が山で滑落死12月に死亡。

このY家の隣は道路なので、これで死の連鎖はないだろうと安心していると、今度はT家の向かい側に死の連鎖が廻る。

5人目T家の向かい側Yさん76歳が老衰1/1に死亡。
6人目Y家の左隣別のYさん70歳が老衰1/4に死亡。
7人目さらに左隣Kさん22歳交通事故5/22に死亡。

以上7人が立て続けに死亡した。この死の連続に、この町内は、”死に神にとり憑かれた町“と噂された。

なお、10軒のうち助かったと思える3軒も実は不幸に見舞われていた。

煙草屋を営むH家は、この変死事件の3年前に主人が階段から足を踏み外し、重傷を負っている。もう一軒も、実は12年前に一歳児が死亡している。残り一軒にまったく死の連鎖が及んでない理由は不明である。

なお、この事件は週刊読売の昭和50年7/26号、週刊現代の昭和51年7/29号に報道されている。

また、この変死事件の背景には、太平洋戦争当時の空襲による犠牲者の呪いが噂されている。実は神谷公園は当時の死体置き場であったのだ。

山のように公園に積まれた死体・・・。

これら犠牲者たちの怨念が、死神となり公園付近の住民に祟ったと、囁かれたのである。結局、供養碑が公園に建立され、変死の連鎖は現在止まっている。

「早く、その石かえしたほうがいいですよ」
「わかりました」

依頼者からの連絡によると、その石の返却後、不幸の連鎖は止まったという。

やはり、この世に死神は実在するのであろうか。そう、死神の鎌は貴方のそばで鈍く光り輝いているかもしれないのだ。

(山口敏太郎 ミステリーニュースステーションATLAS編集部)

『北区立神谷公園』心霊スポット化の理由を考察

神谷公園が心霊スポットとして語られる背景には、大きく分けて 歴史的要因・事件の記録・夜の公園特有の雰囲気 が挙げられます。

まず、この地にはかつて多くの軍事施設が集まっており、太平洋戦争末期には空襲の標的となりました。

記録によれば空襲は計12回に及び、500人を超える死者が出たとされていて、その遺体は神谷公園に集められ、仮埋葬されたと伝えられています。

こうした戦争の記憶が、夜の公園に重苦しいイメージを与える一因となっていることは間違いないでしょう。

さらに、公園周辺では「神谷公園連続変死事件」と呼ばれる不可解な出来事があったともいわれています。

東口付近の路地に面した家々で短期間に30人以上が病死や事故死を遂げ、「死神にとり憑かれた町」とまで呼ばれたという話は、現在でも怪談として語られています。

そして、公園そのものの環境も恐怖心を煽ります。

昼間は子供や家族連れが集う憩いの場ですが、夜になると一変して人通りが絶え、街灯の少なさや古びた遊具が不気味さを増します。

特にブランコや滑り台といった遊具は、日中は懐かしさを感じさせる一方で、夜は寂しさのような存在感を放ちます。

さらに、「白い服の女性を見た」「子供の声が聞こえた」といった体験談がインターネットやSNSを通じて拡散され、公園で語られる恐ろしい噂は次第に定着していったのです。

こうして神谷公園は、実際の歴史と噂話、そして人の心理が重なり合うことで、今日では定番の心霊スポットとして認知されるに至ったのでしょう。

『北区立神谷公園』訪問時の注意点

2025年9月現在、北区立神谷公園は再開発のために閉園し工事中となっています。

工事現場は非常に危険なので、昼夜を問わず侵入はやめましょう。

まとめ

本記事では、東京都で心霊スポットと呼ばれている「北区立神谷公園」の情報をお伝えしました。

北区立神谷公園は、2025年9月現在、再開発のため閉園し工事中となっています。

公園が閉鎖される前は、夜間にブランコがひとりでに揺れる、子供の声が聞こえる、白い影を見たといった噂が拡散されることで、公園は心霊スポットとして知られるようになりました。

北区立神谷公園には、過去に戦争によって多くの人々が命を落とし、その遺体がこの地に仮埋葬された歴史があります。

現在は「都の北学園(仮称)」という小中一貫校の建設が進められており、令和8年度に開校予定とされています。

これに合わせて、新たな神谷公園の再整備も計画されています。構想では、地域防災機能を備えた広場や、多目的に利用できるスペースが設置される予定です。

心霊スポットとしての「北区立神谷公園」は過去のものになってしまいましたが、生まれ変わる北区立神谷公園では、どのような噂が誕生するのでしょうか。

出来れば、戦争で命を落とした人々の魂が、安らかに眠りにつけることを願ってやみません。

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