大分市の中心市街地からほど近い丘陵に広がる上野ヶ丘墓地公園。
春には約400本の桜が咲き誇り、昼間は散策や花見を楽しむ人々で穏やかな空気に包まれます。
ところが日が落ちると、その風景は一変。濃い樹影と静寂が辺りを包み込み、不気味な雰囲気が漂い始めます。
鬱蒼とした木々の中で「人影を見た」「片目の猫を見た」といった噂が囁かれてきました。
本記事では、大分県大分市の心霊スポット「上野ヶ丘墓地公園」の情報を紹介します。
大分県の心霊スポット『上野ヶ丘墓地公園』とは





上野ヶ丘墓地公園は、大分県大分市上野丘1丁目一帯に位置する市営の墓地公園です。
面積は約9.35ha。市街地の至近にありながら森林浴を楽しめる緑地で、園内外を含む周辺一帯は風致地区として景観保全が図られています。
上野ヶ丘墓地公園周辺は、市の都市計画上「上野ヶ丘風致地区」として位置づけられ、良好な自然景観の保全を目的に建築・造成・伐採などは許可制となります。
大分市における風致地区は2か所のみ(上野ヶ丘/松栄山)であり、中心市街地の緑を守る重要な指定となっています。
市の景観計画では、この一帯を「上野の森周辺エリア」として明確化。
上野ヶ丘風致地区を含む“都心の森”の核とされ、中心市街地から望む象徴的な自然景観の形成拠点として位置づけられています。
さらに「大分いこいの道」から「上野の森」へと連続する緑のネットワークを維持・強化する役割を担っています。
風致保全方針の文書では、上野ヶ丘風致地区は「丘陵先端部の小丘地」で、社寺や遺跡が凝集する郷土的意義の高い土地と評価されているようです。
また、市が掲げる将来都市像「路上博物館構想」の拠点にも位置づけられ、散策路の整備や住民・NPOとの連携による丘陵林の管理など、中長期的な保全・活用の方向性が示されています。
文化資源の核としては、北側高台に大正3年(1914年)竣工の九州電力旧上野変電所(煉瓦造)があり、市の「おおいた景観モデル賞」資料でも建築学上貴重な遺産として記録されています。
これは、上野の森の歴史的景観を象徴するランドマークとなっているようです。
また、公園と連続する丘陵上には大分市美術館や、平成期に整備された上野丘子どものもり公園があり、鑑賞・憩い・散策を束ねる“文化と緑の複合ゾーン”を形成しています。
公式ページには、美術館の所在地(大字上野865)やアクセス、子どものもり公園の面積・ゾーニング(展望広場・水辺広場・散策路ほか)が整備経緯とともに示されています。
このように、上野ヶ丘墓地公園は単なる墓地型公園にとどまらず、都市景観・歴史資源・文化施設が面として連続する「上野の森」の要衝です。
指定(風致地区)、計画(景観計画)、方針(風致保全)という三層の公的枠組みに守られながら、日常の緑地利用から文化鑑賞、歴史の継承までを包含する“都心の森”として位置づけられています。
『上野ヶ丘墓地公園』で起こる心霊現象

謎の人影・足音・囁き声の噂
夜の園内では「ぼんやりとした人影」や「謎の足音」、「動物のような囁き声」といった噂が囁かれています。
斜面林の枝葉や墓石のシルエットは、街灯や車のヘッドライトの逆光によって不気味な影を生み出します。
さらに、風に揺れる葉音や落ち葉を踏む小動物の気配は、訪れる者に強い恐怖心と不安感を与えます。
金縛りが起きる
夜間、公園内のベンチで休んでいると、突然金縛りのような状態に陥ることがあると伝えられています。
その際は、眠っている時と同じように体を自由に動かせず、声も上げられないため、恐怖心が一層強まるとされています。
自死者の幽霊が出現する
桜の木で自ら命を絶った人の幽霊が出現するという噂があります。
その幽霊は、桜の枝からロープで首を吊った状態でゆっくりと揺れながら、何も言わず訪れる者を見つめていると伝えられています。
ウワサされる心霊現象
- 謎の人影・足音・囁き声の噂がある。
- 金縛りが起きることがある。
- 自死者の幽霊が出現する噂がある。
『上野ヶ丘墓地公園』の場所
住所 | 大分県大分市上野丘一丁目1004-1 |
最寄り駅 | 古国府駅(JR久大本線)徒歩約10〜11分程度 大分駅(府内中央口)徒歩15〜20分程度 |
アクセス | 大分駅からバスで約10分 |
備考 | 駐車場が無料で使えるという案内があるが、要確認 |

私有地に無断で立ち入ると罪に問われます。絶対にやめましょう。
『上野ヶ丘墓地公園』で過去に起きた事件・事故

戦前〜昭和20年代後半:火葬場伝承
上野ヶ丘一帯には「かつて火葬場があった」という地元伝承が残されています。
戦前から戦後直後にかけては、衛生政策と都市拡張の狭間で、市街地周縁に葬送施設が置かれる事例が各地で見られました。
上野でも「煙突が見えた」「荼毘の明かりを遠くに見た」といった話が語られていたようです。
これらの伝承は、公式には確証に乏しいものの、噂だけが広まり続けていったとされています。
1945年以降:戦災復興と墓所集約
戦災復興期の大分市では、道路拡幅や住区形成を優先する都市計画のもと、寺院ごとに分散していた墓所を上野ヶ丘の丘陵へ集約する方針が進められました。
これに伴い、旧来の墓碑や供養塔が移設され、寺域の区画が並存する独特の景観が形成されました。
斜面を段状に造成した区画や複数の参道・石段は、利用面では合理的である一方、夜間には遮蔽と陰影を生じやすい環境をつくり出し、不気味な雰囲気を強める一因ともなっています。
自殺者の噂
公園内の桜の木には、ロープで首を吊って自ら命を絶った人がいるという噂が伝えられています。
この自殺に関しては正確な情報源が見つからず真偽は不明ですが、地元ではまことしやかに囁かれていた話です。

公的な記録が確認できない噂も多く、全てを鵜呑みにするのはやめた方が良いようです。
心霊スポット化の理由を考察

上野ヶ丘墓地公園が「心霊スポット」として語られる背景には、墓地公園であること自体が大きな要因だといえます。
現在も利用されている墓地であることは、訪問者の好奇心と恐怖心を十分に煽る舞台装置となっていることは間違いないでしょう。
また、丘陵の斜面林や段状に連なる墓域、長い参道といった地形は、夜間の点在照明と重なって人影の錯視や環境音の誤認(風で鳴る葉擦れや遠音の反響)を生みやすい物理的条件を備えています。
さらに地元民からの話として、墓地公園の側には過去に精神病院があったと伝えられています。昔は精神疾患に対する理解が十分ではなく、差別的な意識も根強く残っていました。
施設の管理も現在ほど徹底されておらず、患者が施設から離れることも珍しくありませんでした。
そのたびに緊急警報と危険を告げる放送が園内に流れ、白衣姿のスタッフが公園内を走って患者を探したといいます。
その緊張感は遊んでいた子どもたちにも伝わり、スタッフからの「早く帰りなさい」という言葉は事情を理解させぬまま恐怖心を強める結果となりました。
こうした出来事が繰り返されるうちに、次第に心霊の噂として語られていったのだと考えられます。

筆者の友人も子どもの頃、早く帰るように促されたことがあるそうです。
訪問時の注意点
上野ヶ丘墓地公園は近隣住民のインフラとして整備されていますが、夜間は照明が十分ではなく、視界がかなり悪い状態になります。
特に墓地内や雑木林の中には、大きな石が転がっていたり木の根が飛び出している場所もあり、足元が危険です。
昼間でも人の往来は少なく、夜間にはほとんど人影がなくなるため、転倒してケガをすると助けが遅れる可能性があります。
訪れる際はできるだけ昼間にした方が安心です。もし、やむを得ず夜に訪問する場合は、照明器具や通信手段を必ず準備して出かけるようにしましょう。
また、桜の時期には花見客がいることもあるため、周囲に迷惑をかけないよう注意が必要です。
まとめ
本記事では、大分県大分市で心霊スポットと言われる「上野ヶ丘墓地公園」の情報を紹介しました。
上野ヶ丘墓地公園は、戦後の墓地集約と桜の名所という二つの顔を持つ、都市縁辺の緑地です。
火葬場の伝承や夜間の環境が怪談的な噂を生み出し、心霊スポットとして語られてきました。
ただし、一次記録に基づく確証は乏しく、噂は噂として距離感を保つのが賢明です。
訪れる際は歴史へのリスペクトと安全第一を心がけ、昼は史跡と桜、夜は静寂の風景を――過度な演出なしに受け止めたい場所といえるでしょう。

現地は昼間でも薄暗い場所が多く、陰鬱な印象を感じる人もいるのだとか…。