
このところ、戦争のニュースが多くて心が暗くなりますね…。
確かに…。戦争の影響もあってお給料は上がらないし物価は上がるし…。


どうして、こんな状況なんですかね?
知らないわよ。国の偉い人にでも聞いて頂戴な…。


そういえば、今回の調査は、戦没者を埋葬している公園でしたね…。昔の方はどんな気持ちで戦争に行ったんでしょうね?
それこそ、容易には想像できないし、気軽に口にできないわね…。感謝の気持ちはあるけどね。それじゃあ、今回は徳島県徳島市にある「西部公園」ね…

徳島県徳島市にある「西部公園」は、「日本さくら名所100選」にも選出されている県内屈指のお花見スポットです。
春になれば約500本ものソメイヨシノが咲き乱れ、多くの家族連れやカップルで賑わう平和な公園として親しまれています。
しかし、その美しい景色の裏側で、夜になると雰囲気が一変し、一部の人々の間では県内有数の「心霊スポット」として語り継がれていることはあまり知られていません。
かつてこの場所がどのような目的で使われていたのか、そして現在に至るまでどのような怪異が報告されているのか。
本記事では、桜の名所に隠されたもう一つの顔である「西部公園の心霊現象や歴史的背景」について、詳しくご紹介していきます。
徳島「西部公園」桜の名所に隠された裏の顔とは?






徳島県徳島市加茂名町、眉山の中腹に位置する「西部公園」は、1958年(昭和33年)に開設された面積約3.3ヘクタールの都市公園です。
元々は明治時代から続く「陸軍墓地」であった場所を、戦後に公園として整備し直したという特異な背景を持っています。
園内の広場から約100段の石段を登った先には、戦没者の霊を顕彰するために建てられた巨大な石碑「忠霊塔」が現在もそびえ立っています。
1980年代後半には、公園の斜面や地形を活かした桜の植樹と再整備が行われ、1990年には「日本さくら名所100選」に選定されました。
現在は徳島市民の憩いの場として、花見の時期以外にも散策や夜景を楽しむ人々が訪れるスポットとなっています。
西部公園で噂される心霊現象・怪異体験まとめ

深夜に佇む黒い人影と「軍服姿の幽霊」の目撃談
西部公園では、深夜になると幽霊が出現するという噂があるようです。
幽霊は黒い人影の姿をしていることや軍服を着た姿で現れることがあるといわれています。
そのため、旧日本軍人の幽霊、戦死者の幽霊だと噂されているようです。幽霊は、街灯の光が届かない暗がりに佇み、訪問者の姿をみつめているのだとか。
幽霊の表情に恨みや憎しみの色はなく、ただ、哀しげなものを感じるのだそうです。
普段は、佇んでいるだけの幽霊ですが、稀にスーッと滑るように移動を繰り返すこともあるといわれており、街灯の明かりが当たってもその姿は真っ黒なままなのだといわれています。
暗闇から響く「軍靴の足音」や「号令」「銃声」
西部公園で有名な噂として、夜間に公園内や忠霊塔へ続く石段周辺で聞こえてくる軍人の足音があります。
誰もいないはずの暗闇の中から、「ザッ、ザッ、ザッ」という軍靴を揃えて行軍するかのような規則正しい足音が徐々に近づいてくると言われています。
また、足音と同時に、何かを指示するような力強い男性の「号令」のような野太い声が響き渡ったという噂もあるようです。
足音や号令以外にも「銃声」のような破裂音が響き渡ることや誰もいない暗がりから大人数の視線を感じることがあるという噂も語られています。
ウワサされる怪異
- 幽霊の目撃談がある
- 謎の音(足音、号令、銃声)が聞こえてくることがある
なぜ心霊スポットに?西部公園の歴史と「元・陸軍墓地」という真実

戦死者を祀る「陸軍墓地」としての成り立ちと忠霊塔
西部公園がある眉山中腹の台地は、明治時代の初頭から徳島歩兵第62聯隊などが使用する「陸軍墓地」として歴史を歩み始めました。
日清・日露戦争をはじめとする数々の戦役で戦死した軍人たちの遺骨が、この地に葬られていたのです。
その後、昭和14年(1939年)に陸軍墓地の整備・拡張計画が立ち上がり、昭和17年(1942年)8月に徳島県忠霊顕彰会によって巨大な石碑である「忠霊塔(忠霊顕彰記念碑)」が建立されることになります。
これにより、この場所は個人の墓地としてだけでなく、国のために命を捧げた数多くの戦没者の霊を大々的に祀り、その功績を顕彰するための厳粛な聖地としての役割を担うことになりました。
GHQの解体命令から奇跡的に守られた慰霊の地
終戦後の昭和20年代、日本を占領した進駐軍(GHQ)は、軍国主義の象徴を排除する政策の一環として、この場所にあった忠霊塔の取り壊しを命じました。
多くの軍関連施設や記念碑が破壊される中、この忠霊塔も解体の危機に瀕しましたが、「徳島県忠霊塔守ろう会」をはじめとする地元住民たちが「戦没者の魂が眠る場所を守りたい」という強い熱意と嘆願により、奇跡的に取り壊しを免れます。
その後、点在していた個人墓などの遺骨はすべて忠霊塔へと合祀され、広大な墓地跡地は平和な市民の憩いの場である現在の西部公園へと姿を変えました。
現在でも塔は大切に管理され、慰霊碑としての役割を果たし続けているのです。
西部公園へのアクセス・住所・駐車場などの基本情報
| 住所 | 徳島県徳島市加茂名町庄山 |
| 最寄り駅 | JR徳島線「蔵本駅」 |
| アクセス | ・JR徳島線「蔵本駅」から徒歩約25分。 ・徳島市街地から国道192号線を経由し眉山方面へ車で約15分。 |
| 備考 | ・無料駐車場あり。 ・忠霊塔へ向かうには、公園内の広場から約100段の急な石段を登る必要があります。 |
夜間に西部公園を訪れる際の注意点と危険性
西部公園を夜間に訪問する場合は、深夜の公園内の暗さを意識しておきましょう。
公園内にはある程度の数の街灯が設置されているものの、忠霊塔へと続く約100段の石段やその周辺は非常に暗いため、足元の視界が悪くなります。
石段自体の足場の悪さと視界の狭さにより、転倒のリスクが高まるため注意が必要です。
西部公園を訪問する場合は、出来るだけ夜間や雨の日を避けて天気の良い昼間にした方が良いでしょう。
また、どうしても夜間に訪問する場合は、必ず懐中電灯などの強力な照明器具と、歩きやすい運動靴を持参してください。
万が一の転倒に備えて、肌の露出は最低限にした方がよいでしょう。
呪いや怨念はない?歴史的背景から読み解く心霊現象の謎

西部公園が心霊スポットになった理由は、やはり「元・陸軍墓地」であり、「現在も忠霊塔に多数の戦没者の遺骨が眠っている」という歴史的事実が大きいと考えられます。
一般的に、墓地や慰霊碑の跡地は「霊が集まりやすい場所」として心霊スポット化しやすい傾向にあります。
特に西部公園の場合は、国のために戦い命を落とした軍人たちを祀っていることから、「軍靴の足音」や「号令」「銃声」といった、戦争や軍隊に直結する非常に具体的でわかりやすい怪異が噂として形成されやすかったのだと考えられます。
興味深い点として、西部公園の心霊の噂のなかに「呪い」や「怨念」に繋がる内容のものがほとんどないことでしょう。
通常、無念の最期を迎えた人が多い場所では、恨みがベースになった心霊現象が生まれやすいものです。
しかし、西部公園に埋葬されているのは、戦死者の遺体であるにもかかわらず「強い怨念」や「悪意」を感じることが少ないのは、訪問者が「国を護るという使命を全うした英霊たち」が埋葬されていることを理解しているからなのかもしれません。

戦争自体は忌避されるべきものですが、埋葬されている方々には心安らかに眠ってもらいたいですね。
心霊現象の内容を考えると、観測者の認知バイアスがしっかりかかっていることが把握できるわね…。


認知バイアスですか?
通常なら戦死した方は無念のはずよね?だけど、悪意や怨念を感じにくいのは、そこに眠っているのが「国を守ってくれた英霊」だと理解しているからじゃないかしら…。極論だけど、もし、埋葬されているのが日本兵に倒された外国人兵士だとしたら?


…怨念や悪意を持った幽霊が出現してきそうですね…。
きっと、呪いや祟りの噂も生まれるでしょね。なににせよ、戦争なんてない方が良いと言うことね…。

まとめ:西部公園は慰霊と平和を祈る歴史的な場所
本記事では、徳島県で心霊スポットと噂される「西部公園」について解説してきました。
徳島市の「西部公園」は、春には見事な桜が咲き誇る美しい公園ですが、その成り立ちは明治時代から続く陸軍墓地であり、現在も戦没者を祀る忠霊塔が静かにそびえ立つ歴史的な場所です。
夜になると聞こえてくるとされる「軍人の足音」や「号令」の噂は、ただの都市伝説として片付けるにはあまりにも、この地が歩んできた重い歴史と密接に結びついています。
しかし、それらの怪異には強い悪意や怨念はなく、かつての英霊たちが今も規律正しくこの地を守り続けている証なのかもしれません。
もし夜の西部公園を訪れる機会があるのなら、肝試しや遊び半分に騒ぐのではなく、平和な現在を築く礎となった先人たちが眠る慰霊の地であることに留意し、静かに敬意を持って足を踏み入れるべきでしょう。
